ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ミスティック・リバー』(2003) クリント・イーストウッド:監督

 この作品ももちろん過去に観た映画だけれども、ほとんど(これっぽっちも)記憶していなかった。

 かつて(おそらくは映画の中心になる時制から30年以上前に)幼馴染だったジミーとショーンとデイヴ。あるとき、3人で遊んでいたときに警官を装った男にデイヴが誘拐され、4日間にわたって性的暴力を受け、デイヴは何とか逃げおおせるが、この事件は彼のその後にあまりに大きなトラウマになった。
 時が経ち、ジミー(ショーン・ペン)は町で雑貨店を営んでいるが、娘が生まれるまでは暴力的な犯罪の世界にも手を染めていたようだ。ショーン(ケビン・ベーコン)は刑事になっている。デイヴ(ティム・ロビンス)は結婚して息子もいるが、今なお少年時の事件のトラウマに囚われているようだ。
 そんなある夜、ジミーの娘が公園で殺害される。同じ夜、遅くに帰宅したデイヴは手を血だらけにしていて、妻のセレステマーシャ・ゲイ・ハーデン)に「強盗に襲われて逆襲して殴り返した。強盗は死んだかもしれない」と語る。

 ここまで見る限り、デイヴはぜったいに怪しい。では「事件の真相」はどうなのか、というサスペンス的展開と同時に、登場する3人の人間性もあぶり出されて行くし、特にジミーとデイヴの生の「ごまかし」「虚偽」というものも観客には伝わるドラマになっている。これらのことは、ある程度ニュートラルな位置にあるショーンのこの事件の捜査の中で露わになっても来る(捜査の尋問の中で、デイヴとショーンとの関係性、ジミーとショーンとの関係性も、「事実究明」とは別に露わになって来る)。

 デイヴはジミーの娘を殺めたりなどしていないのだけれども、そのジミーの娘が殺された夜、同じ頃に、自分の過去のトラウマに深くかかわる状況に対峙し、かつて自分を虐待した小児性愛者を見てその男に徹底的な暴行を加えていた。しかしデイヴはそのことを妻にも正しく伝えることは出来ず、手の傷をジミーやショーンに聞かれるたびに、「ウソ」をつくのである。そのことは逆にデイヴへの疑惑を深めることになるだけなのだが。

 ジミーはジミーで、人を殺めてその死体を川に沈めた過去がある。もちろんその「殺人」を隠すための工作もあれこれやっている。娘を殺害されたジミーは激情し、かつてのヤクザ仲間を使い独自に「犯人」を捜そうとし、その犯人を自分の手で殺してやろうと思っている。

 ショーンも妻とのトラブルを抱えてはいるが、捜査の中でだんだんと「犯人はデイヴではない」と思いはじめるようだ。同時に、ジミーが「表ざた」にならなかった殺人を犯していることにも思い当たるだろう。

 ここでデイヴの妻のセレステは夫への疑惑を深め、そのことをジミーに話す。セレステはジミーがどんな男かを知っているはずであり、自分の夫のデイヴに疑念があるとジミーに話すことは、「デイヴがジミーの娘を殺したと思う」と言っているのと同じことである。
 そのセレステの言葉を聞いたジミーはその夜、デイヴを仲間と共に川沿いのバーへ誘い、「お前がオレの娘を殺したのだと正直に言えば、オレはお前を殺さない」と語る。ウソである。
 ここでデイヴは生き延びるために「オレが殺した」と言い、ジミーの娘の中に自分の失われた「青春」を見たのだと、あまりにリアルなウソをつく。デイヴはジミーに殺される。そして同じころ、ショーンは「真犯人」を捕えていたし、その夜デイヴが襲った「小児性愛者」の死体も発見される。「あと1日遅ければ」というところである。

 翌日真相を知り、「オレは無実の男を殺した」と悔悟するジミーに、その妻のアナベス(ローラ・リニー)は、「あなたはこの町の支配者なのだから」と語り、立ち直らせる。

 ‥‥どれだけの「ウソ」で成り立った映画だったことだろう。そんな中で、「ウソも方便」的な対応をするジミーの妻と、「自分の夫はウソをついている」と疑念をつのらせるデイヴの妻との差異があらわになるだろうか。怖い映画だ。
 ラストに、その町でのパレードが行われていて、登場人物はみんなそのパレードを見ているわけだけれども、デイヴの妻のセレステはそんな群衆の中で帰って来ない夫を探しているようにも見えるが、パレードに参加している息子の姿を認めると、彼の名を呼んで手を振る。この時点でもう、セレステはデイヴは戻ってこないものと認識しているように見え、これからの息子と二人での生活を考えているように見えた。
 このパレードのとき、ジミーの姿を見たショーンは、ジミーに向けて手で銃を撃つふりをする。これはショーンが「ジミーがデイヴを殺した」ということをわかっているサインであり、「お前を逮捕するぞ」ということでもあるだろうけれども、実際にどうなるかはわからない。

 ショーンもまた「ウソ」をついていて、それはジミーに娘を殺した犯人を捕らえたと話した際、その犯人が「気まぐれで偶然彼女を殺したのだ」と説明するのだが、実は犯人には彼女を特定して殺害する強い動機があり、そのことはショーンも知っているはずなのだが、それをジミーにあの時点で話しても、ジミーに「さらに強い憎悪」を発生させるだけだと思ったのではないか。わたしはそう解釈した。

 イーストウッドの演出には、先日観たスコセッシ監督のようなギミックな要素はないけれども、的確なカット割りと編集で「スタンダードな映画」の魅力を見せてくれていた。「原作の面白さを、最大限に映像化してくれた」とも思う。