ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-05-21(Thu)

 Stay Home45日目。今日も昨日と同じような曇天で寒い。天気予報だと、今週中ずっとこういう天気だという。
 毎日発表されるCOVID-19の新しい感染者数はこのところ減少し、今日は首都圏と北海道以外の地域の緊急事態宣言は解除された。残りの地域も25日に再検討するという。1ヶ月半つづいた(わたしの場合は実質もっと長いが)Stay Homeも、あと数日で終わるのだろうか。
 わたしは特にこの2~3日ニェネントとの関係がすっかり親密になり、新しい生活サイクルというのか、毎日のニェネントとの生活が楽しくなってきたところなので、気もちとしてはこんな生活をずっとつづけたいところではある。

 今日もやはり午前中からGrateful Deadの音楽を聴き、そうするとニェネントがやってきてわたしのそばでいっしょに横になる。午後も和室のベッドで横になると、ニェネントがわたしの胸の上で「ご休息」である。夜寝るときもやはり同様で、一日中ニェネントとべったりの生活である。これがこのところのわたしの一日。
 
 午前中、リヴィングで寝転がってGrateful Deadを聴きながら『恋愛太平記』を読んでいると、そばにいたニェネントがのっそのっそと室内を歩き回りはじめる後ろ姿が目に入り、その焦げ茶色のしっぽをまっすぐ立てたり、くるりと丸めたり、左右にゆっくりと振ったりしているのだが、それはいかにもリラックスしているという風情で、決して苛立ったりしているわけではないとわかる。しっぽをまっすぐにたてるといっても、ニェネントのしっぽには生まれつき先から7~8センチのところに節があって、カギしっぽというほどではないのだけれども、完全にピンとまっすぐにはならない(さわると、その節の部分にコリッとしたところがあって、そこでしっぽが少しだけ曲がっているのだ)。今計ってみるとニェネントのしっぽの長さは根元から25センチぐらいはあって、まあ和猫ではないアチラのネコの血も混じっているので(系統としてはシャム猫系なのだ)、長いしっぽだといえば長い方なのかもしれない。

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 昔はだいたいどこにいるネコも和猫ばかりで、みんなしっぽといえばせいぜい10センチぐらいのネコばかりだった気もするけれども(ちょこっと、おだんごのようなとてもみじかいしっぽをもっていたネコもよく見かけた)、最近は海外の血統種が飼われるようになってそういう血統種はしっぽも長いのが多く、またそんなネコが外で野良ネコと浮気をして、そのせいかどうかわからないけれども(そんな血統種でも捨てられて野良猫ネコになってしまうこともあるのだろう)、野良ネコでもしっぽの長いのが多く見かけるようになった。
 うちのニェネントだって、お母さんは和猫の野良でしっぽも短かかったけれども、つまりお父さんが立派な外来種、血統種だったわけで(おそらくはラグドール種)、ニェネントは容貌もお父さん似だし、しっぽにもお父さんの血が受け継がれたわけだ。何度も書いたことだと思うけれども、お母さんのミイは公園で遊んでいたお父さんネコ(わたしが見ても「カッコいいネコだなあ」と思ったものだった)を誘惑し、みごとにニェネントを受胎することに成功したわけで(あんな血統種で不妊手術をしていなかったというのは、ニェネントにとってはラッキーだったといえるだろうか)、わたしはお母さんのミイがお父さんの前をツンとすまして、まるでファッションモデルのような歩き方をして誘惑する現場をしっかりと目撃したのだった。ミイの5匹の子どもたちを見たとき、みんな黒白ブチのお母さん似だった中でニェネントだけが白と茶で、見てすぐに「ああ、お父さんはあのときの外人だな」とわかったのだった。
 誤解されないように書いておけば、わたしはニェネントがそういう「混血児」だからと選んで手元に残したのではなく、他の子ネコは母親のミイに連れて行かれてしまい、1匹だけわたしのところに残ったのがニェネントだったということなのだ。この経緯はずっと前に古い日記に書いたし、長編小説になるほどにすっごく長い話になってしまうので、今日はこれにておしまい(古い日記はもう存在しないことになっているので、気が向けばまた少しずつ書くこともあるかもしれない)。

 今日は夕食の前に「Gyao!」で『かくも長き不在』という映画を観た。どういう映画かは知っていたが、観るのは初めて。これはモノクロ映画なのだが、ノートパソコンの画面ではブルーがかった色あいになっている。HDMIでテレビに接続して観ていると完全に黒白のトーンで、やはりテレビ画面で観る方がいいな、と思った。

 夜は書いたようにベッドで本を読んでいるとニェネントがくるので、わたしの胸の上にのせてあげるのだが、ニェネントはそのうちに場所を変えて、上半身をわたしのウェストにのせるようなかたちで、わたしの体とは直角の体勢で横にになっている。ちょっとニェネントのすがたをみてみると、目を閉じてすっかり眠ってしまっているようだった。
 そういう風にわたしに寄り添って眠ったりすることは今までなかったことで、このところニェネントの中でもわたしとの関係が変化しているのではないかと思った。前からある程度想像はついていたが、わたしはニェネントにとって親(お母さん)代わりみたいなところがあると思うのだが、そういう意識が出てくるのはごく限られたときだけだった。それがこのところ、たいていのときにわたしのことを親代わりに思い、したっているような感じだ。
 ベッドでわたしに寄り添って眠るというのも、母ネコに寄り添って眠っていた生まれたばかりの赤ちゃんのころの記憶から、なのではないだろうか。まあそれはわたしの都合のいい解釈かも知れないが、このひとときがニェネントにとってリラックスして幸せな時間であればいいと思う。