ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『かくも長き不在』(1961) マルグリット・デュラス/ジェラール・ジャルロ:脚本 アンリ・コルピ:監督

かくも長き不在 デジタル修復版 [DVD]

かくも長き不在 デジタル修復版 [DVD]

  • 発売日: 2018/03/23
  • メディア: DVD

 映画の時制は撮影されたであろう1960年に合わせられているようで、当時まだ人々の心に残る残酷な戦争の傷あとを描いたもの。

 主人公のテレーズはパリ郊外でカフェを経営しているのだが、あるとき、歌を唄いながらカフェの前を歩いていく浮浪者を目にとめ、驚愕と怖れから倒れてしまう。その浮浪者は16年前にゲシュタポに連行されたまま行方不明になった彼女の夫、アルベールにそっくりなのだった。
 テレーズは毎日カフェの前を歩くようになる浮浪者のあとをつけ、川べりの彼が住むテント小屋で彼と会話するが、浮浪者は記憶喪失なのだとわかる。「ぜったいに夫だ」と確信したテレーズは彼をカフェに連れて行き、なんとか男の記憶を取り戻させようとするのだが‥‥

 主演は『第三の男』などで知られるアリダ・ヴァリで、男の記憶を取り戻させようとする熱情にあふれた演技をみせてくれる。浮浪者=アルベールを演じるのはジョルジュ・ウィルソンという人だが、そのやさしさをたたえた瞳と朴訥さをも感じさせるしぐさ、動作が印象に残る。

 監督はアンリ・コルピという人だが、「カイエ・デュ・シネマ」に評論を寄稿し、後にアラン・レネの『二十四時間の情事』や『去年マリエンバートで』などの編集にたずさわったという人物。そのあたり、この作品での画面のジャンプカット気味の切り方、つなげ方には「なるほど、さすが」と思わせられるところがあった。全体にワンシーンワンカットの移動撮影が多いのだが、観ていて「この人は溝口健二の影響を受けているのではないだろうか」というような絵だった。

 ラスト近く、テレーズが男と店にあるジュークボックスの音楽に合わせて踊る場面で、男に体をあずけたテレーズが男の頭部に大きな傷あとを見つける場面の演出など、見事なものだと思った(ジュークボックスを使った、オペラ歌曲の使い方がいい)。
 テレーズが必死に男の記憶を呼び起こそうと、カフェを出て行く男に彼の名まえであるはずの「アルベール・ラングロワ」を連呼し、心配してカフェの周囲にいた人々も皆で「アルベール・ラングロワ!」と叫ぶとき、男はそれまで思い出すことのなかった収容所での体験を思い出したのであろう展開のラストは、あまりにも悲しい。

 「記憶喪失」ということでは、わたしも多少自分のことで思い当たることもあるのだけれども、じっさいに人に「昔会ったことがある」と言われてもどうしてもその人のこと、そのときのことなど思い出せないことがあった。それはもちろん「物忘れ」という次元のことではなくて、今でもヨーロッパに旅行した時のことなどまるで記憶していない。もちろんそれはこの映画のような「悲劇」ではないし、アルベールのように長期間の記憶を失くしているわけではないが、それでも断続的に2~30年の記憶は失せていて、自分の中での「喪失」としてどこか欠落感をともなうものではある。ちょっとそんなことを映画のアルベールと重ねて観ていて、別の悲しみにもつつまれるのだった。