ネコ雑誌、「AERA」の増刊号「NyAERA(ニャエラ)」を買ってしまった。80ページフルカラーで、すべてのページにネコがあふれている。
中に何ページも「ウチの子、すごい猫です」という、読者の飼っているネコの写真と名前がいっぱい載っているページがあって、わたしはそのページのネコの写真と、その名前を眺めているのが好きである。
「いろんな名前のネコがいるなあ」と思って、感心もするけれども、ウチの「ニェネント」という名まえも負けてはいない(「ハリス・リチャード」というネコは強敵だ)。
それで今日は、もう何年も書いていないので、この「ニェネント」という名前の由来を書いておこうと思う。
実はニェネントくんは、そのお母さんの「ミイ」が、産まれたばかりの5匹の仔猫をウチの押し入れに連れて来て、そこでしばらく育てていた仔猫のうちの1匹で、わたしはそのときは「うわあ~! わたしはこれから5匹(お母さんのミイを入れると6匹)のネコを飼うことになるのか~!」と思って覚悟を決めたのだったけれども、そのときに「まずはこの5匹のコに名前を付けなければ」と思ったのだった。2010年の6月のことだった。
ちょうどそのとき、わたしはミシェル・レリスの『幻のアフリカ』という本を読んでいて、「アフリカ熱」が高まっていた時期だったもので、5匹の仔猫にも「何か、アフリカっぽい名前を付けてやろう」と思ったのだった。
それでなぜか、西アフリカの「ウォロフ語」の数の数え方にたどり着いて、「ウォロフ語の1から5までの数を、そのままネコたちの名前にしよう!」と決めたのである。
それはこんな感じ。
1=ベンナ(benna)
2=ニャール(ñaar)
3=ニェッタ(ñetta)
4=ニェネント(ñenent)
5=ジュローム(juróom)
どの呼び方も「ネコの名前」にピッタリだと思い、そこで5匹の仔猫の、黒い毛の比率の多い順からこの数の数え方を割り振っていき、そのときにニェネントくんの黒さは4番目(実のところ、まったく黒い毛など生えていないのだが)。それでこのコは「ニェネント」になったのだった。
その後、残念なことに、「飼いネコになりたくなかった」お母さんのミイは、次々に仔猫たちをくわえて外に出て行ってしまい、さいごには「ニェネント」だけがわたしの部屋に残ったのだった(「ジュローム」はしばらくわたしの部屋にとどまったけれども、ちょっとしたスキに、開いている窓からやって来たミイに連れ出されてしまった)。
あのとき、お母さんのミイは、「あなたには5匹のネコを育てるなんてムリよ」と思ったのかもしれない。その判断はきっと、正しかったのだ。それでそこから、「ナンバー4」の「ニェネント」と、わたしとの暮らしが始まったのだった。
去ってしまった4匹のネコはそのまま行方不明になってしまったけれども、お母さんのミイはそれから半年後に外で「毒」でも盛られたようで、ひん死の状態でわたしの部屋にやって来た。わたしがミイを部屋に抱き入れて、わたしはミイが亡くなるのを看取ったのだった。
以上、「ニェネント」の名前の由来の話はおしまい。
この日はそのニェネントくんは、いつもなら朝食のあとすぐに和室のベッドの中にもぐり込んでいたのだけれども、いつまでもリヴィングのわたしのそばの椅子の上にすわりつづけていて、なんと、今までではじめて、夕食時間に近い3時ぐらいまで、ずっとその椅子の上にいたのだった。
今日の報道で、ウチのとなり駅の柏の「イトーヨーカドー」が、この10月で閉店するらしいということだった。「イトーヨーカドー」は首都圏でも店舗の閉鎖をあちこちで検討しているらしく、その一環なのだろう。
わたしも映画を観に行った帰りなどに立ち寄ることがあるけれども、柏駅の周辺には「ドン・キホーテ」とかはあるものの、しっかりと日用品から食料品まで買えるスーパーというのは存在しないだけに、地元の人はがっくりしているのではないかと思う。でも、この柏店は「自社ビル」ではなく「テナント」として入っている店舗のようなので、「リストラ」ということでは対象になりやすいのだろう。
一方、わたしんちから歩いて行ける、東の「我孫子駅前店」は、なんと北口にも南口にもそれぞれ「イトーヨーカドー」があって、コスパはよくないのではないかと思うのだが、この我孫子駅前店は、どうも北口も南口もどちらも「自社ビル」のようで、そういうところでどちらも「存続」とされるのではないかと思う。
「イトーヨーカドー」はそんなに安いわけでもないけれども、わたしは衣料品などを買うには利用しているし、このスーパーはお惣菜が美味だと思う。たまに「美味しいものが食べたいな」と思うときは、この店で買うことが多い。
観続けているアンソニー・マンの監督作品もあと2本でおしまいで、それが『エル・シド』と『ローマ帝国の滅亡』という壮大な史劇。どちらも3時間の尺なので、観るのも大変である。一日の時間分配を考えて観なければならなくって、一苦労だ。