じっさい、グレン・ミラーの写真を見ると、ジェームズ・スチュアートはグレン・ミラーにけっこう似ていると思う。どういういきさつでこの映画が撮られることになったのかはよくわからないけれども、アンソニー・マンはけっこう乗り気だったようで、「わたしが興味を持ったのは、<音>をドラマチックに表現したかったからです。そして、何か新しいものを探していて、ついにそれを見つけた男の物語なのです」と語ったらしい。
それは「アンソニー・マン、さすが」というところがあって、「音楽映画」として現代にも共通する視点もあり、つまり「新しい音」を生み出そうとするミュージシャンと共通しているというか、マイルス・デイヴィスとかでも似たようなストーリーがつくれそうな気がしてしまう(誰かつくらないか?)。
それでラスト近く、実際のFrances Langfordと、The Modernairesとがグレン・ミラー楽団をバックにライヴするというのも、この映画のハイライトの一つではあっただろう。素晴らし!
この映画は「アカデミー録音賞」を受賞しているそうだが、たしかに、そのグレン・ミラー楽団のヨーロッパでの慰問公演での音は、(わたしはチンケなテレビのスピーカーで小音量で聴いていたのだが、それでも)スタジオ録音ではないライヴな音に聴こえて、「いいなあ」と思っていたのだった。
ただ、正直言って一本の映画として一貫性がないというか、グレン・ミラーが妻になるヘレンに求婚して結婚するまで、同時に自分の求める<音>を見つけるまでと、まさに「人気楽団」となっての活躍ぶり、そして彼が世界大戦で連合国を支援するために軍隊に入隊し、慰問楽団としてヨーロッパに進出してその死までと、まあ「伝記映画」だからしょーがないだろうけれども、映画として考えるならば、彼がヘレンと結婚し、ついに自分の考える音を見出して楽団を結成するまででいいではないか、という気にはなる。
じっさい、一本の映画としてみて充実しているのはその前半までで、ここまでの移動カメラとかその編集はとても素晴らしいもので、ここまで観ていての映画としてのインパクトは、相当に強いものだった。ま、あとは映画としては「後日談」みたいなものでしょう。
実はわたしはこの映画がテレビで放映されたのを昔観ていて、この映画でジューン・アリソンという女優さんのことを知り、しっかり記憶しているのであった。正直、そこまでに美人女優というのでもなく、セックスアピールがあるというのでもない女優さんなのだが、笑顔のかわいい、実にチャーミングな女優さんなのだ。彼女はジェームズ・スチュアートと合計3本の作品で夫婦役で共演し、映画ファンらは、2人がじっさいにも夫婦なのではないかと思っていたらしい。
まあこの映画でのジューン・アリソンはまさに「糟糠の妻」というか「内助の功」というか、保守的な価値観の持ち主にも受け入れられるタイプの「妻」像を体現していたのかもしれないが、それでも随所に夫をリードする場面もあり、「現代的」なところもあったように思える。
この映画はアメリカと同様に日本でもヒットして、おかげでグレン・ミラーの楽曲の知名度を一気に上昇させ、レコードもガンガン売れたのだった。それでわたしなんかも、グレン・ミラーの曲とそのタイトルを知ってしまっているのだった。
これでわたしがアンソニー・マンとジェームズ・スチュアートとが撮った作品を観るのもとりあえずおしまいだが、このあとも2人は3本の映画を撮ることになる(うち西部劇が2本)。
アンソニー・マンは心臓発作で早くに亡くなってしまうが、ジェームズ・スチュアートはアンソニー・マンにはいろんな思いもあったようで、第一回東京国際映画祭でこの『グレン・ミラー物語』が上映されたときに来日していて、その舞台挨拶で「好きな監督はフランク・キャプラとアルフレッド・ヒッチコックです」と、アンソニー・マンの名前を挙げてはいないのだった。
一方、この作品が公開されたあとの1955年、あのジャック・リヴェットは、アンソニー・マンを「戦後ハリウッドの4人の偉大な監督の1人」と称賛したという。他の3人とは、ニコラス・レイ、リチャード・ブルックス、ロバート・アルドリッチなのだった。