ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『パラダイン夫人の恋』(1947) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 原題は「The Paradine Case」で、「パラダイン事件」というようなニュアンス。
 この作品はヒッチコックがプロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックとの7年契約のもとで撮った最後の作品だったけれども、ここでもヒッチコックはセルズニックの干渉に悩まされ、うんざりしていたという。

 セルズニックは1933年にこの作品の元の小説の権利を買い取っていたのだけれども、当初はグレタ・ガルボの主演を考えていたらしい。1946年にヒッチコックがこの作品を監督することになり、ヒッチコックはいつものように糟糠の妻のアルマ・レヴィルに脚本の草稿を書いてもらったのだが、セルズニックはその草稿に満足せず、自分で書き直したらしい。この映画の冒頭には「Adaptation by Alma Reville」「Screen Play by David O. Selznick」とクレジットされているが、アルマ・レヴィルの名がクレジットされたのは珍しいことではないかと思う。じっさいにはこのあと、前作までの協力者ベン・ヘクトなどの筆も加わっていたらしい。

 主演にはセルズニックが推すイタリア出身のアリダ・ヴァリ、それとグレゴリー・ペックが決まり(グレタ・ガルボは引退の意向だった)、共演者にはフランス出身のルイ・ジュールダンやチャールズ・ロートンの名もある。
 アリダ・ヴァリはこのあとやはりデヴィッド・セルズニック製作の『第三の男』に出演し、多くの人にその名を記憶されることになるし、ルイ・ジュールダンも大スターになった。

 映画のほとんどは裁判所法廷と、弁護士や判事の家庭ばかりが描かれ、そんなに予算もかからなかったのではと思えたけれど、実はロンドンの法廷を正確に再現したセットがつくられ、ローアングルから撮られても天井が写るよう、天井もしっかりつくられたのだという。結果として製作費はかなりの額になり(あの『風と共に去りぬ』とほぼ同額になったという)、実は映画自体がヒットしなかったこともあり、興行収入は製作費の半分ほどにしかならなかったらしい。

 物語はイギリスが舞台で、とても裕福で若いパラダイン夫人(アリダ・ヴァリ)が、退役軍人で年上の、盲目の夫を毒殺した容疑で逮捕されることから始まる。パラダイン夫人の弁護士のサイモン・フレイカーは、若くて有能で評判の高いアンソニー・キーン(グレゴリー・ペック)をパラダイン夫人の弁護士に推薦する。
 パラダイン夫人に面会したアンソニーは、ミステリアスな魅力を持つパラダイン夫人に惹かれ、「何としても彼女を無罪にしよう」と力を注ぐ。
 アンソニーに11年連れ添った妻のゲイは、夫の入れ込み方に不安をもおぼえるのだが。

 アンソニーは郊外のパラダイン家の屋敷を訪ね、そこに今も住む謎めいた男、大佐の世話人だったラトゥール(ルイ・ジュールダン)に会うのだが、彼はパラダイン夫人を「悪魔のような女だ」と侮蔑する。ラトゥールはいつもパラダイン氏の身の回りを世話していたから、アンソニーはラトゥールがパラダイン氏に毒を盛ったのでは?という仮説に固執する。しかしロンドンに戻ると、パラダイン夫人はラトゥールが犯人などということはあり得ないと、彼を擁護する。

 裁判の場で、アンソニーはラトゥールを追い詰め、「彼が犯人では?」という仮説を補強し、自説を有利に法廷を運ぶのだった。
 しかしその後にラトゥールは自殺してしまい、その知らせは公判中の法廷に届く。それを聞いたパラダイン夫人はラトゥールを愛していたことを語り、夫を毒殺すればラトゥールといっしょになれると思ったことを語るのだった。

 自分の弁護方針が弁護するその人に覆されたアンソニーは、公判の場で自分がラトゥールを追い詰めて死に至らしめたとして謝罪し、自分の弁護がすべて依頼人への背信であったとし、弁護人を辞めて法廷を後にするのだった。

 ここまでは法廷での裁判の物語だが、これと並行して、アンソニーとその妻のゲイとの対話、そしてゲイとアンソニーを推薦したサイモンの娘のジョーン、判事のトーマス・ホーフィールド(チャールズ・ロートン)の妻のソフィーとの女性3人による会話もまた、物語を法廷の外からサポートする、重要な役割を担っていたと思う。
 アンソニーの妻のゲイの目からも、アンソニーがあまりにパラダイン夫人に囚われすぎていることは明白だったわけで、この法廷の、アンソニーの決定的な敗北は深刻だったろうと思うのだが、ゲイはその法廷でのアンソニーのスピーチというか心情吐露(映画でも5分ぐらいワンカットの場面だった)を「素晴らしかったわ」と賛美し、「もう弁護士は辞めてもいい」という夫に、「弁護士を続けてちょうだい」と言うのだった。

 単に「法廷ドラマ」にとどまらず、こういう「事件」から外れた描写が魅力的な映画で、妻や娘ら3人の会話でも、「法廷に従事する夫や父の仕事をどう思っているか」という女性たちの話は、わたしには「見どころ」ではあった。
 後半は法廷内でのドラマになるのだが、ここでカメラはいろいろな角度から法廷内を写し、まさにこの閉ざされた空間を立体的に見せていたと思う。

 ここでも主人公はすぐに恋に落ちてしまい、「さすがにヒッチコック映画」というところだけれども、相手のパラダイン夫人はそういうことではまったく彼を相手にしないわけだし、ここに夫婦のドラマが入って来ることにはとっても納得が入った。
 パラダイン夫人にとりつきようもない「謎」があること、パラダイン家の屋敷がめっちゃ豪華なことなど、どこか『レベッカ』を思わせられるところもあって、そういうところでも楽しめる作品ではあった。アリダ・ヴァリはまさにミステリアスな美しさを見せてくれたし、ルイ・ジュールダンもみごとな演技だった。そしてグレゴリー・ペックと、その妻の役のアン・トッドも素晴らしかった。
 セルズニックとの契約を終えたヒッチコック、きっとこの作品を撮り終えてせいせいしたことだろう。