ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-03-13(Wed)

 ずいぶん前に「猫草」を育て始めていたのだけれども、草の丈が5~6センチに伸びたところから成長が止まり、「どないしたんや」と思っていたのが、草の先端が茶色くなり始めてしまった。「それは枯れ始めているのではないか?」という感じだった。
 付いていた説明書には「土の表面が乾燥しない程度に水を与えること(水を与えすぎると腐敗してしまう)」と書かれていて、毎朝キリ吹きで水を与えることは欠かさなかったのだけれども、こうやって成長が止まってしまったというのは水分が足りないのだろうと、3~4日前からはコップで水を与え、よけいな水は捨てるようにした。
 そうやってみたらば、そこから急速に成長が始まり、今では10センチ近くにまで葉が伸びたのだった(先端が茶色いのは残ってしまったが)。

     

 まあ、一日に3~4時間しか日光の当たらない場所に置いているので、そのせいで成長が遅いこともあるのだろうけれども、「水をやりすぎると腐敗する場合があるので注意してください」と書かれているのを信じすぎていた。
 「10~15センチに成長した時が食べ頃です」と書かれているので、あと一息だろう。

 米がなくなってきたので、午前中に北のスーパーに買い物に出たのだけれども、その前に、わたしがいつもの椅子の上でまどろんでいるニェネントくんのそばを通るたびに、ニェネントくんが前足でわたしにタッチしてきて、「にゃあん」と啼くのだった。いつもにないことで「どうしたのだろう」と気にかかったが、わたしはそのまま買い物に家を出てしまった。
 家を出てから「はたして、ニェネントくんはわたしに何を訴えていたんだろうか」と気にかかってしまい、「わたしにタッチしてきたときにもっとコンタクトを取ってやればよかったな」と、強く反省した。
 早く帰宅して「さっきのは何の用だったの?」と聞いてみようとしたけれども、わたしが帰宅したときにはもうニェネントくんはベッドのふとんの中にもぐり込んでいて、わたしに何の反応も示さないのだった。いったい、何だったのだろうか?

 テレビのニュースショーとかを見ていると、自民党青年局・近畿ブロック会議の懇親会で肌の露出の多い女性ダンサーらが登場し、議員が「マウス・トゥ・マウス」でダンサーにチップを渡していたとか、いろいろと「何やねん」ということが報じられ、報道も「お祭り状態」になっていた。
 ちょっとテレビを見ていたけれども、これはほとんど「昭和の成金オヤジ」の乱痴気パーティーのまねごとというか、「女体盛り」とかに通じるものもあるみたい。それを「青年局」という、まだまだジジイでもない自民党員が「自民党」の集会で嬉々として騒いでいたのだと思うと、その危機意識の希薄さはもう病的だし、自民党員というのがみ~んな政治に身を捧げようとしているのではなく、つまりは「オレたち成金!」みたいな連中ばっかりなんだろうな、などと思ってしまう。
 テレビでのインタビューで、コレを企画した県議会議員は、「もしもあなたが女性ダンサーの体にさわっていたのなら、議員辞職されますか?」という変な質問を受け、「自分の記憶ではわたしはさわっていない」と、これまた変な回答をしていた。またまた「記憶」の問題だ。こういう答え方をするというのは、「わたしは女性ダンサーの体にさわりました」と、自白しているのとおんなじなのだ。笑ってしまった(この議員はこのあと自民党を離党したらしいが)。
 ところで、皆も言っているようだけれども、こういうダンサー・グループが存在することが悪いのではなく、そんなグループを党の懇親会に呼んだヤツらがバカなのだ。世の中には「ストリップ」を見せるダンサーも存在するが、そういうダンサーは決して排除されるべき存在ではない。このことははっきりしておかなければいけない。だから自民党議員も、個々にストリップ劇場に行く分には、何の問題もなかったのだ(「おさわり」は禁止だけれどもね!)。

 今日は夕方から、またまたアンソニー・マンジェームズ・スチュアートのコラボ映画で、『グレン・ミラー物語』を観た。わたしもむかし、テレビで観たことのある映画だった。
 しかし、これでアンソニー・マンジェームズ・スチュアートの映画もおしまい。アンソニー・マン作品で観れるのはあと、『エル・シド』と『ローマ帝国の滅亡』という、史劇の大作2本だけ。どちらも長いのだ。

 夜はベッドでパトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』を読み継いだが、すぐに眠くなってしまい、この夜はほとんど読み進められなかった。