ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-11-12(Sun)

 寒い。わずか半月ほどの秋を経て、もう冬がやってきた感じだ。起き出してからこの季節初めてセーターを着込んだ。今までは室内でははだしだったけれども、もう靴下をはかないと足が冷たい。
 外はすっかり曇っていて、今にも雨になりそうな天気だ。わたしは午前中に北のスーパーへと買い物に出たけれども、家の外の道路は雨でしっかり濡れていた。
 ウチの前の空き地にスズメが何羽か来て柵にとまっていたので、写真を撮ろうとしたけれどもカメラをかまえたら飛んでいってしまった。「しょうがない」とわたしが先に進むと、今度はわたしの正面にアオサギが飛び立っていくのだった。羽ばたくアオサギは美しい。こういうシャッターチャンスをとらえるのはめったなことでできるものではない。
 少し歩くと、向かいの家の上のアンテナにヒヨドリがとまっていた。意外とこのあたりはヒヨドリの姿をよく見かける。こっちはフレームが外れそうになったが、何とか写真を撮ることができた。

     

 この日はニェネントくんのための「ネコ用カニカマ」がなくなったので買う用事。前にスーパーのとなりのドラッグストアで買ったので行ってみたが、一袋(120グラム)799円(税抜き)もして「高いなあ」と思う。前回買ったときはこれでもいいやと思って買ったのだろうが、となりのスーパーは改装してからペット用品も安くなっているので、「スーパーの方を見てから決めよう」ということにした。
 そのスーパーへ行ってみると、こちらでは60グラムで298円(税抜き)。明らかにドラッグストアより安いので、そのスーパーで買うのだった。
 今日はやはりニェネントくん用の「猫砂」も買ったので、帰りには荷物はけっこう重たくなった。「米」を買うとき、「猫砂」を買うときは、けっこう大変だ。スーパーからの帰り道には弱い雨も降り始めたし。

 ネットのニュースを読んでいると、またまた「産経新聞」が、この11月4日に杉並区の公園で開かれた「難民・移民フェスティバル」について、アフリカからの参加者と話していた人がその参加者に「神はあなたを殺す」とかの暴言を吐かれたという記事を書いている。区民の女性は「外国人がどんな言葉に反応されるか分からず、怖い」と記事にあるが、この記事全体が「産経新聞」の「難民・移民ヘイト」に基づく、限りなく「フェイク」に近い記事であろうと思う。
 実はわたしは「X(Twitter)」でこのフェスティバルのことは読んでいて、「産経新聞」の書いた記事のもとになった「事件」のことも読んでいる。わたしが先に読んでいたのでは、フェスティバル会場に杉並区議員(自民党)がやって来て、フェスティバル参加の外国人に「どうやって日本に来た?」「パスポートは持っているのか?」と執拗に聞き、ついには聞かれていたアフリカ系の女性が泣き出してしまったのだという。その議員はフェスティバル会場からお引き取り願ったわけで、その映像もわたしは見ている。
 その議員は以前から杉並の駅前でヘイトスピーチを繰り広げていたような人物で、さいしょっからそのフェスティバルを批判しようと訪れていたのだろう。そして参加者を先に書いたような言葉で問い詰め、相手がたまりかねて怒りをあらわせばそのことを言質にとって、「産経新聞」と連携してこのような記事になったのだろう。
 「産経新聞」のこのやり方は以前川口のクルド人問題でもやっていて、記事によるとあるジャーナリストが川口でクルド人に話を聞いていると、とつぜんにそのクルド人が激昂してきて、その暴力的性格に驚いた、というような記事だったが、「そりゃあそのジャーナリストが相手が怒るようなことをしつっこく聞いていたからだろう」と想像がつく。
 この「産経新聞」の記事には、そのフェスティバルについて、「区は『問題があれば主催者から報告してもらう必要がある』としている」と書かれているが、「問題はない」のであって、あるとすればその区議会議員の側にあるだろう。
 このやり方も「産経新聞」は川口でもやっていて、「クルド人たちが川口の病院の前で騒いで事件になった」と書いたことがあったが、このことで誰一人逮捕されたことはなかったのだ。
 「産経新聞」も、「反移民」ならそういう主張でも構わないが、このような「事実」をねじ曲げる、「フェイク」とも言える記事で読者を誘導することをすべきではないだろう。

 今日は夕方から、考えていたようにもういちど『CURE』を観るのだった。わたしは日本映画を観るときには小さい音量だとセリフが聴き取れないし、それで音量を大きくするととつぜんに大きな音が飛び出してきたりするので、基本ヘッドフォンをつけて映画を観る。今日もそうやってヘッドフォンをつけて寝っ転がって映画を観て、映画が終わったので起き上がってヘッドフォンの差し込みを外したのだけれども、それで振り向いてみると、その一瞬のあいだにニェネントくんがやって来ていて、さっきまでわたしが寝転んでいた、そのわたしの頭の位置にあったクッションの上で丸くなっているのだった。ずっとわたしが映画を観ているあいだもわたしのそばでわたしを観察していたのだろうか。それで、わたしの寝ていたところのクッションが、ニェネントくんには何か愛着があったのだろうか。なんとなく、そんなことでニェネントくんのわたしへの「愛着」を感じて、ちょっとうれしくはなるのだった。