ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『キングコング対ゴジラ』(1962) 円谷英二:特技監督 本多猪四郎:監督

 『ゴジラの逆襲』以降、ゴジラ映画はしばらくつくられなかったのだけれども、その間も本多猪四郎監督と円谷英二特技監督とのコンビは『空の大怪獣 ラドン』(1956)、『大怪獣バラン』(1958)、『モスラ』(1961)と、いわゆる怪獣映画は撮っているし、『地球防衛軍』(1957)、『宇宙大戦争』(1959)というSF特撮映画、そして「変身人間シリーズ」として『美女と液体人間』(1958)、『ガス人間第一号』(1960)などという作品を撮っているし、実に多産である。
 「ゴジラ映画」を撮らなかったことは、「もうゴジラは『ゴジラの逆襲』で終わりでいいだろう」と考えていて、それよりもラドンだとかモスラなど、別の怪獣を登場させて「東宝特撮映画」としてはヴァリエーションを持たせながら継続させるつもりだったのではないだろうか。

 それがこうやって、アメリカ特撮映画のレジェンド「キングコング」を登場させる作品を撮ることになったのは、映画『キングコング』の特撮を担当したウィリス・オブライエンが、キングコングの権利を持つ映画会社RKOに対して『キングコングフランケンシュタイン』という企画を持ち込んだことから始まるのだ。これは、フランケンシュタインの孫が「フランケンシュタイン」と同様の技術で巨大怪物を誕生させ、そいつがキングコングと戦うという内容だったらしいのだが、これがRKO内で『キングゴング対プロメテウス』と変形し、なぜか東宝に売り込まれたということらしい。
 東宝側では前年の『モスラ』のヒットもあり、「またゴジラを」の声も大きくなっていたらしく、「じゃあゴジラキングコングを戦わせよう」となり、もう「フランケンシュタイン」も「プロメテウス」もどこかへ吹っ飛んで消えてしまった。晩年のオブライエンは自分の企画がそのように姿を変えて日本に行ってしまったことをハンパなく嘆き、一説ではそれが彼の死期を早めたともいう。

 東宝ではスタッフらが「久々のゴジラ映画」に盛り上がったけれど、「キングコング」をどう造形するか、どう描くかに腐心したという。RKOからは「オリジナルのキングコングに似せるな」という注文もあったらしく、困ったスタッフは「ニホンザル」をも参考にしてあの姿にしたらしい。また、当初考えられた『ゴジラキングコング』のタイトルは、オリジナルのキングコングへの敬意から『キングコング対ゴジラ』となった。
 RKOの要求した契約料は8千万円と、当時新作映画が3本撮れるという額だったけれども、しかし映画は大ヒットし、莫大な支払いの見返りを充分に受けたのだという。

 前置きが長くなってしまったけれども、さてこの作品、もう「反戦反核」のメッセージなどかけらもなくなってしまい、作品で訴えられるのは当時の映画界の持つ「興隆するテレビ業界」への危機感からか、ただ「視聴率」を稼ぐことだけを妄信するテレビ業界人らを「おちょくる」ようなコメディー仕立てとなってしまっている。この「コメディー仕立て」、肝心のキングコングゴジラとの対戦にも影を落とし、怪獣のユーモラスな動きも目立つことになる。このあたりは円谷氏が「日米関係とかメッセージとか抜きにして、子供でも楽しめるものにしたい」という考えによるものだったようで、以後ゴジラ映画は「お子さま映画」への道を突進し始めるわけだ。
 また、キングコングが発見される南洋の島の住民らの描写も、「時代ゆえ」とはいえあんまりなモノだっただろう。

 前作までで東京、大阪と大都市を破壊して来たゴジラだが、今回のゴジラは終盤まではJRの特急列車は破壊するだけ。一方キングコングは東京を襲うが、こちらも地下鉄丸ノ内線を破壊し、国会議事堂へと行くけれども、そこまでの家屋の破壊というのは見られない。終盤の主決戦場は富士山麓で、ラストにようやく熱海城を2頭が競い合うように破壊するだけみたいで、そういうところで特撮映画として「街を破壊する怪獣」を見てのカタルシスも得られないのだった。
 「特撮」に関して、この作品からカラー化されたためか、特撮の粗(あら)も目立つ気がした。キングコングははっきり言って「人間そのまま」みたいな着ぐるみだし、作品ごとに姿を変えるゴジラも、中の人間の頭がゴジラの首のあたりに来るためか首が太くて「なで肩」で、初代ゴジラの面影はない。その眼に「白目」の部分を入れたことも「マンガ的」になってしまい、「お子さま向け路線」の一環か、とは思った。キングコングゴジラもその動きは相当に「擬人化」され(まあキングコングは見かけからもほとんど人間なのだが)、怪獣としてのリアリティはかなり失せている。ただ、ゴジラを横から見た姿だけは、素晴らしいものがあったとは思う。
 冒頭、北極圏の流氷山からゴジラが青い放射熱戦を放って氷を破って姿を見せた場面はカッコ良くって、以後に期待したものだったが、残念。

 しかしこの作品、浜美枝若林映子とが出演していて、それがアメリカでこの作品を観た映画関係者の目にとまり、2人そろって『007は二度死ぬ』への出演に結びついたらしいが。
 その浜美枝が地下鉄に乗っていてキングコングに襲われ、そのまま拉致されて国会議事堂へと連れて行かれるのだけれども、この「電車が破壊されて乗っていたヒロインが危機にさらされる」というのは、『ゴジラ-1.0』で引用されていた。

 総じて観て「がっかり映画」で、これからどんどんこの「お子さま路線」がエスカレートして行くのなら、「連続してゴジラ映画をみ~んな観てみよう」という計画にも、暗雲が立ち込めてくるというものである。