ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『メカゴジラの逆襲』(1975) 中野昭慶:特技監督 本多猪四郎:監督

 前作『ゴジラ対メカゴジラ』の観客動員はいくぶん持ち直し、メカゴジラは人気者となった。プロデューサーの田中友幸はさらに観客動員を増やそうと、大人向きに初期のゴジラシリーズの雰囲気に回帰しようと考えた。そのため、久しぶりに本多猪四郎が本作の監督にあたり、音楽も伊福部昭が起用された。
 本多猪四郎にとっては本作がさいごの監督作品となり、このあとは黒澤明監督の『影武者』などの演出補佐についたりしていた。
 脚本もシナリオ学校の学生のコンペで選ばれることになり、高山由紀子のシナリオが選ばれた。ゴジラシリーズ初の女性のメインスタッフになった高山由紀子は、日本画家の高山辰雄の娘ではあった。彼女はシナリオ執筆にあたってシリーズ第一作『ゴジラ』のみを参考にしたというが、そのあたりが、この作品でも科学者を演じた平田昭彦の造形に関係しているようではある。ここでは平田昭彦は『ゴジラ』の芹沢博士とは対極のマッド・サイエンティスト科学者を演じているのだ。
 本多猪四郎監督はのちに、この作品の脚本家である高山由紀子と他の作品で仕事ができなかったことを嘆き、このジャンルにとって「女性の視点が特に新鮮だった」と回想している。その「女性の視点」は、登場する女性サイボーグ真船桂に生かされていただろう。

 スタッフらの意気込みにもかかわらず、結果としてこの作品はゴジラ映画最低の観客動員となってしまい、「昭和ゴジラシリーズ」の終焉へとつながってしまう。けっきょく、「大人向き」を目指したが若者の観客は増加せず、それまでの子供の観客が減少してしまったのだろう。わたしは何となく、このタイトルに「ゴジラ」の文字が出てこなかったせいもあるんじゃないか、などとも思うのだが。

 ストーリーはいつものような「新たな仕切り直し」の異なるストーリーではなく、前作『ゴジラ対メカゴジラ』の設定を引き継いだものとなった。
 映画は『ゴジラ対メカゴジラ』でゴジラキングシーサーに敗れて海中に没したメカゴジラの残骸の回収、ということから始まるのだが、ここで前作登場の「ブラックホール第3惑星人」の別部隊が新しい怪獣(映画の中では「恐龍」と呼ばれる)「チタノザウルス」をあやつって海洋開発研究所が回収しようとしていたメカゴジラを奪い、修復するのである。
 このチタノザウルスは、過去に自分の研究を認めなかった学会や人間への復讐のため、真船信三博士(平田昭彦)が発見した恐龍の生き残りをコントロールできるようにしたものなのである。すでに真船博士は「ブラックホール第3惑星人」と密接な関係を持っており、チタノザウルス開発中に事故死した真船博士の娘の桂(藍とも子)を、ブラックホール第3惑星人がサイボーグとしてよみがえらせてもいたのだ。

 海洋開発研究所の一之瀬(佐々木勝彦)は、メカゴジラ回収時の事故を調査するうち、今は忘れ去られている真船博士の存在に思いあたり、調査を始めるのであった。真船邸で桂と出会った一之瀬は、どうやら桂に惹かれてしまったようである(シリーズ唯一のラヴストーリーか?)。
 横須賀にチタノザウルスが上陸し、追って来たゴジラと戦うが、ゴジラは苦戦。そこに修復されたメカゴジラもやって来てゴジラはボコボコにされ、土の中に埋められてしまうのだ。

 真船博士を追っていたインターポールは一之瀬と共にブラックホール第3惑星人の基地を発見、ブラックホール第3惑星人と追いつ追われつの展開になり、そこで桂も一之瀬の腕の中でサイボーグとしての生命も終えるのだった。
 地中からよみがえったゴジラはさらにチタノザウルスとメカゴジラと戦うが、苦戦の末にまずはメカゴジラを破壊。「チタノザウルスは超音波に弱い」と知った防衛軍によるチタノザウルスへの攻撃でチタノザウルスも無力化、ゴジラによって海に投げ捨てられるのであった。

 メカゴジラは「格闘技」を繰り出してゴジラと戦うというよりも、「全身武器」となって圧倒的な火薬量でゴジラを攻撃するのね。チタノザウルスの武器はしっぽのヒレを振って起こす「強風」。これがなぜかすっごい強力なのだ。
 ただ、ゴジラメカゴジラと戦っているときはチタノザウルスは突っ立って傍観。チタノザウルスが戦うときはメカゴジラがただの置き物になってしまい、「タッグマッチ」の基本がなっていなかったことがいちばんの敗因かと。

 第一作『ゴジラ』の、葛藤の末に自分の命を投げ出してゴジラを倒すことにした芹沢博士と、ここでは人間への呪詛、復讐のため宇宙人に魂を売り渡してしまった真船博士との対比。同じ平田昭彦が演じているわけだし。
 ただやはり、強いヒューマニズムを感じさせられた芹沢博士に比べ、この真船博士のマッド・サイエンティストぶりはちょっと弱いだろう。
 そして「人間ドラマ」回帰の本作、たしかにこのしばらくの人間ドラマのアバウトさに比べれば相当いいんだけれども、でもやはりこれでは「ドラマ」への入り口で、「あとひとつ」が足りなかった気がする。

 さて、ついに「昭和ゴジラシリーズ」を制覇したぞ。もう最後の方は「オレは何を観ているんだ!」という大きな落胆をも味わったが。
 思い返してみればやはり、しょっぱなの『ゴジラ』があまりに素晴らしすぎたか。あとは『モスラ対ゴジラ』も佳作ではあったと思うし、皆が大っ嫌いだという『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』も、わたしは「怪獣映画を観るというつもりではなくして」楽しめた。
 とにかく途中からはドンドンと「お子さま路線」がエスカレートしてしまったのだけれども、考えてみれば第3作の『キングコング対ゴジラ』が元凶だったかな、などとは思うのであった。ただ、シリーズ終盤にゴジラアンギラスとが「盟友」となったのは気に入ったけれども。