ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967) 有川貞昌:特技監督 福田純:監督

 東宝は、この1967年の7月に公開された『キングコングの逆襲』に本多猪四郎監督や円谷英二特撮監督、伊福部昭の音楽など一流のスタッフを起用し、同じ1967年12月公開のこの『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』は前作につづいて福田純監督があたり、スタッフも東宝の若手が起用された。
 この作品はグアムロケが行われ、主要キャストもグアムへ行き皆にうらやましがられた。

 『キングコング対ゴジラ』から脚本を担当していた関沢新一は「新しいゴジラ映画」のアイディアも枯渇していたし、福田監督も同意した。それでプロデューサーの田中友幸が、「新しいアプローチ」としてゴジラに息子を登場させるという提案をした、ということらしい。
 東宝は女の子は「かわいい」赤ちゃん怪獣を好むだろうという考えから、デート客が呼び込めるという目論見もあったみたいだ。福田監督は「怪獣の親子をほぼ人間として描きたい」と考え、結果、「デート客」どころか「幼児向け」の映画になってしまったのではないかと思う。

 前にゴジラ赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」のキャラクター「イヤミ」の「シェー!」をやったこともあるのだが、今回「ミニラ」のデザインはまた「おそ松くん」のキャラクター「チビ太」を模したものとしたらしい。何ということだ。もうどうにでもしてくれい。
 似てるだろうか? う~ん、「へ」の字型のまゆは似ているかも。

       

 舞台は太平洋の孤島「ゾルゲル島」。またもや、前作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』につづいて「南海の孤島」となってしまい、ゴジラの「破壊シーン」ももうほとんどなくなってしまったのだった。
 島には「気象制御システム」完成のため実験をする科学者グループがいて、リーダーは楠見博士(高島忠夫)。そこに取材目的で単身島に来たフリーの記者真城(久保明)がやって来て、雑用係としてグループに加わる。
 真城は島をひとり探索していて、海で泳いでいる若い女性のサエコ前田美波里)を見つける。彼女はかつてこの島に住んで研究していた考古学者松宮(すでに亡くなっている)の娘なのだった。松宮は「この島には巨大なクモがいる」との警告を残していたが、島にはすでに大きなカマキリが棲息していた。

 グループは実験のため、放射性物質を積んだ気象コントロール気球を打ち上げるのだが、詳細不明の妨害電波によって気球は制御不能となり、気球は爆発してしまう。島は放射能にさらされてしまうわけで、実験の結果として高気温にもなってしまう。
 高気温がおさまってみると、大きなカマキリはさらに巨大化していたのだ。真城によって「カマキラス」と命名。そしてこの巨大なカマキラスたち3匹は、崖の側面から巨大な卵を掘り出すのだ。
 実は卵はゴジラの卵で、「妨害電波」とはその卵から親ゴジラを呼ぶために発せられたテレパシーらしかった。
 卵の殻は割れ、ゴジラの息子の「ミニラ」誕生。しかし3匹のカマキラスらにいじめられ攻撃されるのだ。それでテレパシーに答えて、海から親ゴジラ登場。カマキラスを蹴散らすのではあった。

 ミニラはゴジラに「パパ~!」みたいに鳴くし、もう本当に人間の親子みたいで見てられない。ゴジラはミニラに「放射熱線」の吐き方を教えたりして、ま、あとはミニラがサエコと仲良くなるみたいな描写もあるが、ずっと「ほのぼの」映画。

 考えてみたらこの映画には「人間の敵」は登場しない。そういうところも「幼児向け」という感じはするが、グループが実験を再開すると、ついに語られていた巨大なクモの「クモンガ」が谷底から蘇生。科学者グループの住まい、仕事場の洞窟を襲う。
 ゴジラとミニラもクモンガと戦うが、そのあいだに科学者グループは「最後の手段」として「天候改変装置」を使って島の気温を低下させ、怪獣たちが冬眠するあいだに島を脱出するのであった。
 まさに「南の島に雪が降る」。寒さに凍えた親ゴジラはミニラを両腕で抱きかかえ、そんなゴジラとミニラとの上に雪が白く積もって行くのではあった。うん、このラストは抒情的でとってもいいっす。もう「幼児向け映画」と割り切って観ていても、このラストなら子供だって心をうたれるだろうかね。

 しかし、この科学者グループの研究というのはヤバくって、今後の地球の「人口増加」に向けて、今までシベリアとかの寒冷地で食糧耕作に向かなかった土地の気温を上昇させ、さらにアフリカや南米の熱帯雨林とかの気温を低下させ、どちらも人間の食糧耕作に適した土地にして、爆発的に増加する人類の食糧をまかなおうというものなのだ。
 ま、この頃は「地球環境」とか「SDGs」とかいう考えもなかったのだろうけど、そりゃそのときは人間は生き残れても多くの植物や動物は滅亡し、そのうちに人間も滅亡することになるわけだ。まさに「人間のエゴ」が全開なお話ではある。

 ま、この「幼児向け」作品、「ゴジラ・シリーズ」も来るところまで来てしまったなあという感じで、ゴジラの「脅威」も「威厳」もない「良きパパ」ぶりには泣きたくもなる。
 毎回作り変えられるゴジラの着ぐるみも、さらに目が上に飛び出してきて、口もぱっくりと開くし、「セサミストリート」の「エルモ」か「カーミット」とかを思い出してしまうし、これに「ガチャピン」みたいなミニラが加わって、もうとても「怪獣映画」とは思えないのだった。
 ただ、クモの怪獣「クモンガ」だけはけっこうよく出来ていて(眼の位置だけは、正しいクモの眼の位置じゃないけど)、その動きもなかなかのもので、クモンガひとり「怪獣」代表としてがんばっていたようだった。