ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『エイリアン3』(1992) デヴィッド・フィンチャー:監督

 『エイリアン2』が公開されヒットするとすぐ、20世紀フォックス社は『エイリアン3』の製作に取りかかった。しかし例によって作業は難航し、何人かの監督候補者があらわれては消え、何種類かの脚本が執筆されて行った。

 面白いことに最初に脚本を依頼されたのはウィリアム・ギブスンで、このときは監督はレニー・ハーリンが想定されていたという。ギブスンの脚本では『2』でエイリアンの惑星を脱出した「スラコ号」は「共産主義者コロニー」の入植する惑星へ不時着するが、いっしょに「スラコ号」に乗っていたアンドロイドのビショップの体内に「フェイスハガー」が侵入していたのだ。ここに「エイリアン」を研究しようとするコロニーの科学者たちと、そもそも「エイリアン」を生物兵器として地球に持ち帰る計画だった「ウェイランド・ユタニ社」とのエイリアン争奪戦となるのだ。この『3』で活躍するのは「スラコ号」に乗っていたヒックス(マイケル・ビーン)になる予定で、リプリーはこの『3』では昏睡状態がつづいていて、続く『4』で「リプリーvs.エイリアン」の最終決戦になる予定だったらしい。
 脚本は『2』にも増してアクション指向で、今でもこの「ギブスンの脚本」を支持する人は多いらしい。しかし製作陣はそこにギブスンらしいサイバーパンクっぽさがないと感じたし、現実的にはソヴィエト連邦が崩壊してしまって、「共産主義」への脅威というものが切実なものではなくなってしまっていた。

 それで監督に予定されていたレニー・ハーリンは、エリック・レッドという人物を脚本に推した。これは「スラコ号」が別の人類がすでに入植している惑星のコロニーに不時着するのだが、リプリーら乗員はすべて死亡していて、ただエイリアンだけがコロニーに侵入し、「人間vs.エイリアン」の全面戦争になる、というものだったらしい。製作陣は「これではシガニー・ウィーバーも出て来ないし、『2』から逸脱しすぎる」として却下する。
 次にデヴィッド・トゥーヒーという人物が「ウィリアム・ギブスンの路線でリライトしてくれ」と要請され、ここで「監獄惑星」というアイディアが登場する。この脚本はフォックス社の社長にも届けられ、シガニー・ウィーバーを外すという案に否定的見解を示す。このあたりまでの脚本の開発ラッシュにレニー・ハーリンは嫌気がさしたのか、別の映画の監督を引き受けることになる。

 ここでプロデューサーのウォルター・ヒルは新しくヴィンセント・ウォードに監督を依頼、脚本のリライトも認めることとなる。ヴィンセント・ウォードは、ジョン・ファサーノという脚本家と共に、リプリーの乗った脱出ポッドが男性だけの「修道院」のような<木造の>衛星に不時着するという、別のアイディアを考えた。
 衛星の修道士たちは「エイリアンとは<悪魔>である」と信じ、女性であるリプリーの存在も攻撃し、彼女を地下牢に閉じ込めるらしい。そしてリプリー自身がエイリアンに寄生され、ついにリプリーはエイリアンを抹殺するために自分自身が犠牲になることを決意するのだ(わたしはこのストーリーが面白そうに思えた)。
 すでに副プロデューサーとして発言権を得ていたシガニー・ウィーバーは、この「リプリーの自己犠牲」に賛同した。
 しかしウォードの脚本は内部で賛否両論が起き、20世紀フォックスは惑星を鉱石精錬所にし、「修道院惑星」というのを「囚人惑星」にしようと考え、ウォードに脚本の変更を依頼したが、ウォードはそれを拒否して解雇されたのだった。
 実はこのあとも別の脚本家が雇われたりするが、けっきょくプロデューサーのウォルター・ヒルとデヴィッド・ガイラーとがウォード/ファサーノの脚本をリライトし、新しい監督にはミュージック・ヴィデオ界で評判のデヴィッド・フォンチャーを選んだ。フィンチャーフィンチャーで別の脚本家と共同で脚本のリライトを行ったが、このあたりで「何がどうなったのか」もうわからない、という感じではある。

 けっきょく、ウォード/ファサーノの脚本をもとに、製作陣の提示した、「囚人惑星」が舞台となるということで進行したようである。
 映画は今までの「エイリアン」シリーズではいちばん「暗鬱」な作品となったが、わたしはこの「暗鬱さ」は気に入っている。今回のエイリアンはまずは犬に取り憑いて、「犬型エイリアン」として今までになく高速で駆け回り、天井にへばりついて走行したりもする。
 そもそも「囚人を収容する惑星」だから武器のストックも置いてなく、相手はただ一匹のエイリアンであっても、最後まで苦戦することになる。
 しかし、この終盤の「エイリアンを追い詰めようとする場面」が、同じような場面を何度も繰り返すばかりで、ここのところがつまりは「映画会社がデヴィッド・フィンチャーを差し置いて勝手に編集した」という主な部分なのだろう(他にもまだまだあるのだろうが)。
 フィンチャーは、この映画でのエイリアンは「人間型」ではなく「犬」のような四つ足と想定されるところから、自分たちで勝手にデザインせずに、オリジナルのデザインのH・R・ギーガーに手紙を出し、スケッチを描いて送ってもらったという。こういうところは立派である。

 映画には否定的な意見も多かったが、特に監督のデヴィッド・フィンチャー自身、「今日に至るまで、私以上にこの映画を嫌った人はいない」と語っている。わたしはけっこう好きだけれども。