ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-05-19(Sun)

 さて昨日は、夕方から例の「太鼓サミット」へ出かけたのだった。午後5時までは地元のグループらによる演奏がつづき、そのあとに、けっこうあちこちで活躍されていらっしゃるらしい、地元の日本舞踊の方が出演されるので、その方の踊りが見たくって5時ぐらいに家を出た。
 歩いていると、そのスポットへの道にはいつもにはない多くの人が歩いていて、「あの人たちも『太鼓サミット』へ行くんだな」と思う。あんまり混んでなければいいが。
 スポットへの道はわかりにくいので、要所要所にスタッフの方が道案内で立っておられた。

 到着してみると、まだ地元の人たちのグループが合流してセッションをやっておられた。ステージに行くまでにキッチンカーによる出店も出ていたけれども、ちょっと見ると「ビール600円」などと書かれている。「え~っ、そりゃあちょっとボリすぎなんじゃないの~」などとは思うのだった。こういう機会、せめて300円ぐらいだったなら1杯ぐらい飲んでもいいとおもったのにな。
 演奏の繰り広げられているエリアに行くと、それなりに結構な数の観客が詰めかけていた。目算で200人ぐらいかな? でもわたしのように今から来られる人も多いので、まだまだ増えることだろう。
 そのときには地元の太鼓グループの合同演奏が行われていたが、じきに終了。その頃には観客も増えていて、300人を超えていただろう。

     

     

 舞台転換でしばらくのブレイクがあり、ようやく5時50分ぐらいから「日本舞踊」。さいしょは素踊りで「静」と「動」の舞いを見せて下さったが、音は録音を使用。それは仕方ないことだろう。

       

 そのあと、踊り手の方が舞台上で「隈取り」のメイクの模様をみせてくれ、それから太鼓の方をバックに「歌舞伎舞踊」を舞われたのだった。
 すでに日も暮れた舞台は竹林をバックに、まさに幽玄さも漂わせる美しい舞台だった。やはり観に来てよかった、とは思った。
 わたしは日本舞踊を見慣れているわけでもなく、詳しくもないのだけれども、見ていると自然と「ああ、ああいう動きは見事なものだなあ」と思うようになるし、舞台に引き込まれていくのだった。

 その日本舞踊が終わったところで7時になっていて、まだ夕食も食べていないし、毎夜8時にはベッドに行くわたしとしては、「このあたりまでだな」と帰途についた。まだこのあとにつづいて、著名な太鼓打ちの方の出番があったけれど。
 その会場から降りる道は、まだまだトワイライト・タイムで薄明るかったけれども、それでも足元は暗くっておぼつかず、「まだ多少明るくってもこんなだから、さいごまで居残っていたりしたらもうあたりは真っ暗で、足元なんかまるっきり見えなくなっていたことだろう。いちおうそのスポットから降りて行く道には小さな明かりが並べられていたのだけれども、足元がしっかりと見えるような明るさではない。おっかなびっくりそのスポットから出ることができたけれども、そこから先のわが家への道もしっかり街灯が並んでいる道ではないわけで、「うひゃ~、暗いなあ」という感じだった。「う~ん、さいごまで居残らなくってよかったかもね」と、改めて思うのだった。

 ということで、昨夜のイヴェント体験は終わったのだった。考えてみたら、わたしがこういう舞踊・ダンス・演劇などの舞台を観るのは、もう4年ぶりぐらいのことなのだった。いい刺激になった一夜ではあった。

 さて今日は、取り立てて何もない一日ではあった。午後からは新しく仕切り直した「ゴジラ映画」、「平成ゴジラシリーズ」の第一作『ゴジラ(1984)』を期待しながら観たのだけれども、その期待は見事に裏切られた。酷い映画ではあった。

 ゴジラを観たあとは大相撲。大相撲も休場力士が続出でヤバいったらない。「超・不調」だったカド番大関の霧島も昨日から休場を決め、大関陥落が決定した。彼はまだ大関に復帰する可能性もけっこうあるけれども、今の幕内は「元大関」という力士にあふれているし、このところ毎場所の優勝力士をみても、すでに番付の順位というものも意味をなさなくなっているみたいだ。それはつまり、幕内力士は誰でも、ちょっと好調であれば「優勝」の可能性がある、ということにも思える。