早朝に、ニェネントくんがわたしの上に跳び乗ってくる気配で目が覚めた。ニェネントくんはそのままわたしを乗り越え、わたしの右腕の上でしゃがみ込んでしまった。そのままそこにしばらく滞在するのかなと思っていたけれども、2~3分わたしの腕の上にとどまったあと、またわたしを乗り越えてベッドの下へ行ってしまった。ふむ、以前より滞在時間はみじかかったなあ。
今朝は雨が降っていたけれども、10時頃にちょっと買い物に家を出たときには雨はやんでいた。道路はすっかり濡れていて、道路のへりに生えている草は雨を浴びたあとでその葉の色も冴えて、なんだか元気になったみたいにみえた。写真はヒメツルソバという植物で、わかりにくいけれども一輪だけ花が咲いていた。

午後からはだんだん空の雲も消え、陽が照ってきた。日暮れどきには窓から見る空に雲はまったく見えなくって、夕焼けでピンク色に染まっていた。「今、外に出たらきれいな夕焼けが見られるかもしれないな」と思って、近くのいつも渡る歩道橋の上まで出かけてみた。
西の方の空には黒い雲もたなびいていたけれども、高い空の青い色から、地平の明るい黄色へのグラディエーションが見られた。

それで反対側、東の方に目をやってみると、これが遠くの方には白い雲がモクモクとわいていて、眺めても「おお、なかなか見事な雲の造形だなあ!」と見惚れてしまった。
この日は、西の空の夕焼けよりも東の空の雲の方が見事だったなあ、なんとなく、「あ、秋」という日だった。

報道で、東京高裁はこの日、「同性婚を認めない民法などの規定は憲法に違反する」との訴えに対して「人生の伴侶と定めた相手と、配偶者としての法的関係を形成できることは、安定的で充実した生活を送る基盤で、重要な法的利益。同性間でも男女間と同様に尊重されるべきだ」として、「違憲である」との判決を示したという。
前から「同性婚」を認めない今の規定は「違憲」であるとの判決は複数出されていたが、今までの自民党政権は故・安倍晋三の強い要請もあって、同性婚を認めてこなかったわけだ。今このとき、自民党与党は衆議院で過半数を割り込み、今までのように一方的に「数の論理」で決定することもできなくなるだろう。今こそ「同性婚」を正当化する立法措置をおこなうときだろうし、もうひとつの懸案事項、「選択的夫婦別姓」にしても認めるべきではあろう。
このようなことが実現されれば「自民党が選挙で負けるとこ~んないいことがある」と、実感できることだろう。
先日、「ノーベル経済学賞」を受賞されたダロン・アセモグル、ジェームズ・ロビンソンの共書『国家はなぜ衰退するのか』を買おうとして買えなかったわけだけれども、なぜか「それではオードリー・タンを読んでみよう」と思ってしまい、彼の『自由への手紙』という本を注文していたのだけれども、それがこの日早々と届いた。
これはオードリー・タンの「著作」ではなく、彼へのインタヴューを文字起こししたものだったのだが、文章は平易で読みやすそうだし、200ページぐらいの本だから、読みはじめたら早く読み終えそう。
ただ、今はナサニエル・ホーソンの『呪いの館』というのを難儀しながら読んでいるので、オードリー・タンを読むのはそれを読み終えてからになるか。
しかし読んでいる『呪いの館』、今までにこういうのは読んだ記憶はない「悪訳」、といっていいんだろう。読んでいてこれが「直訳」だとしても、ここまで日本語からほど遠い文章は読んだことがない。まあホーソンの原文が「古めかしい文章」で、「持って回った言い回し」も多用してはいるのだろうけれども、翻訳者はこの文章で人が読んで素直に了解できると考えたのか。そして出版社は「これでOK」と思って出版したのか。まあ50年以上前に刊行された本だしなあ。
今、となり駅の映画館では山中瑤子という若い監督の評判作『ナミビアの砂漠』が上映されていて、観に行きたいなあとは思っているのだけれども、その映画館では今週末からフレデリック・ワイズマン監督の特集が組まれていて、土曜日は『チチカット・フォーリーズ』、来週水曜日には今まで日本未公開の『インディアナ州モンロヴィア』が上映されるのを観に行きたい。
そうするとちょっと、あまりに映画館通いが過ぎるというか、今月は支出が多かった気もするし、『ナミビアの砂漠』はまた別の機会に観るチャンスも来るだろうと、今回はパスすることにした。