知人の個展が始まっている。案内もいただいているし、今まではその方の展覧会ごとに出かけてもいたから、ぜひ伺いたいところではあるのだけれども、今のわたしはとても遠方へは出かけられないという気分が強い。昨日は上野の科学博物館の「鳥展」に行きたいという話をしていたではないか、と思われるだろうが、なぜか上野には出かけられる。上野公園に緑地がいっぱいあって神経が休まるから、ということはあるのだろうが、ときどき「上野に行きたいな」と思うのだ。
ま、ウチの近郊の映画館とかには出かけたりもするけれども、映画館のなかの空間とかはけっこう平気だ(それでも遠くの映画館は今はダメだ)。これが演劇とかの上演となると、そもそも場所も遠いし、今はあの空間も苦手だし「行けない」ということになる。
それと今、知人とかにお会いしたくないという気もちが強い。ま、気分的に「引きこもり」というか、メンヘラ的なところもあるのだろう。今わたしが人に会うのは、スーパーなど買い物に行ったとき、そしてクリニックへ行ったときぐらいのものである。
今までのニェネントくんは、早朝に寝ているわたしの上に跳び乗ってくることが多かったけれども、最近はわたしが「寝よう」とベッドに横になると、すぐにわたしの上に乗ってくるようになった。それで5分ぐらいはわたしと並んで寝ているけれどそのうちに降りて行ってしまい、最近お気に入りのキャットタワーの下段のボックスのなかに収まってしまう。
この日は最近には珍しく、夜になって和室のクローゼットの上にジャンプしてみせてくれた。最近はクローゼットの上にはジャンプしなくなっていたので、「もうニェネントくんも年老いてしまって、それだけのジャンプ力がなくなってしまったのかな?」と、ちょっと心配していたところだった。いやいや、まだまだ元気なニェネントくんなのであった。

この日は午後からまた想田和弘監督の「観察映画」、平田オリザの「青年団」を捉えた『演劇1』を観た。長い作品なので今日は半分まで。
わたしも昔は、けっこう「青年団」の作品をじっさいに観たものだったが、例によって今ではまるで記憶していない。さすがに志賀廣太郎氏や古館寛治氏などのお顔は記憶していたが。
しかし、こうやって「劇団」というものを素材として撮られるということは、フレデリック・ワイズマン監督の『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』という作品とかぶってしまうのではないか、とは思った。しかしこれまた例によって、わたしは『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』の内容をほとんど記憶していないのだった。
『演劇1』を観るのをとちゅうでやめて、大相撲の中継を見る。この日は玉正鳳が幕内力士と「幕内」の取組みとして対戦するので楽しみなのだった。ところがおやおや、相手力士が今日から休場で、玉正鳳の不戦勝となったのだった。玉正鳳の相撲を見られなかったのは残念だけれども、これで玉正鳳もここまで5勝2敗の好成績。いよいよ「勝ち越し~来場所の新入幕」というのが見えてきたかな。
相撲といえば「そういえば炎鵬は今場所どうなんだろう」と思い、調べてみたら今は彼は三段目なのだけれども、昨日まで3勝しているのだった。もう脊髄損傷の方はすっかりいいのだろうか。
炎鵬が気になるのは、その大ケガの前まで関取在位が29場所で、「あと1場所」関取の地位につけば「年寄株」取得の権利を得ることができるということ。今の調子だとまた十両に復帰するのは時間の問題のように思えてしまう。がんばっていただきたい。
今日は好調だった豊昇龍が阿炎に「突き落とし」で敗れてしまった。先日若隆景を「小手投げ」でやぶった取組みなんか、「なんて小気味いい投げを決めるんだろう」と感服したものだったが。まあじっさいは昨日の熱海富士戦は、豊昇龍が負けてたと思うけれども。
今は寝る前とかに、ホーソンの『呪いの館』を少しずつ読んでいるんだけれども、ようやっと三分の二を超えるところまで読み進んだ。前にも書いたけれども、この翻訳はすんごい「悪訳」で、「そんな日本語はないだろう」という文章がいっぱい出てくるわけで、「いったい何が書かれているのか?」ということを読み取るまでに時間がかかってしまう。それだけではなく、このホーソンの「十九世紀らしい」というのか、非常に回りくどいもったいぶった文章というのが次の難関。比喩だとか修辞とかが長々とつづき、読み進めてみたら「そんなところ、とばして読んでしまっても問題なかったなあ」みたいな箇所の連続であって、読んでいてもめげてしまうのだった。
ま、今月中には何とか、この本は読み終えたいところである。