楽しみにしていた映画。出演者は荒川良々以外誰も知らなかったが(笑)。
映画を観る前についこの作品の映画評を読んでしまったのだが、その評では前半は黒沢清監督らしいホラー・ミステリー的な展開だけれども、後半は銃撃アクション映画となり、全体の構成に疑問があるような書き方だった。ま、そんなこと言ったら、過去の哀川翔版の『蛇の道』なんかだって銃撃戦たっぷりだったわけだから、あんまり気にはならない。
主人公の吉井(菅田将暉)はいわゆる転売屋で、それまで勤めていた町工場(ここの社長の滝本が荒川良々)をやめ、転売屋への道を勧めてくれた先輩の三宅(岡山天音)の誘いを断って、恋人の秋子(古川琴音)と共に郊外の湖畔の一軒家に転居する。転売業を拡げるために現地で佐野(奥平大兼)という若者をバイトで雇うが、吉井がネット転売に使っていた「ラーテル」というハンドルネームへの悪評が買い手や売り手のあいだで拡がるようになっている。
佐野が吉井のパソコンにさわったりして、必要以上に吉井のことを知ろうとしていると吉井は思い、佐野に辞めてもらう。吉井は彼の周辺で彼につきまとうような人影があることに気づくが、ついにある日、男たちの集団が彼の住まいを襲うことになるのだ。
実は吉井を襲う男たちは「ラーテル」に恨みを持つ売り手、買い手たちではあるし、かつての勤め先社長の滝本、そして転売屋の先輩の三宅などという、ただ「吉井をやっつける」ためだけに結集した連中である。彼らは猟銃や拳銃で武装しているのだ。そんなとき、佐野が吉井を助けにやって来るのだが、彼は実はどうやらトンデモない男で、吉井に拳銃を手渡し、いっしょに連中と戦うのであった。
これまでの黒沢清監督作品ではおなじみの「廃工場を舞台にした銃撃戦」「雑木林の中の疾走」「拉致監禁」などという設定(ここまでのは皆『蛇の道』にあった設定か)はあるし、あの「雲の中を浮遊するようなクルマの中」という場面も登場する。冒頭から「段ボール箱」は出てくるし、「ゆらぐビニールのカーテン」もだ。そういう意味でも今まで黒沢清監督作品を観続けてきたわたしにはただうれしいし、彼のキレッキレの演出、印象深い照明などいつも通りではある。
後半はたしかにほぼ「アクション映画」というような展開になるのだけれども、私見ではかつての日活アクション映画っぽくもあると思えたし、それはもっと考えれば50年代ハリウッドのB級フィルム・ノワールの影響もあるのではないかと思うのだった。そういうところで「リアリティ」なんて鼻っから問題にしていないわけで、ただ不気味で邪悪な空気が追及されるのだけれども、そんな中で不条理ともいえるコミカルな描写もあり、この作品を「今まで観たこともない」独特の作品だと思わせてくれる。
わたしは、ある人物がその背中に拳銃を隠しながら吉井に近づいて行くという、あきれるほど「ベタ」な展開の演出の中にこそ、そんなシーンを撮った黒沢監督の「映画へのアイロニカルな視点」を感じる思いがした。う~ん、わたしにはこういう作品ならアメリカ人にもよく理解されそうな気がするし、「アカデミー国際映画賞」だって夢じゃないようにも思ってしまう。
とにかくは、わたしには思いっきり「エンターテインメント」してみせた黒沢清監督とも見て取れ、ただただその面白さに酔い痴れて観ていたのだった。これはもうわたしには、もう一度とかもう二度とか観ずにはいられない作品ではあった。
そうそう、音楽は『Chime』につづいて渡邊琢磨氏で、わたしのお気に入り。そして撮影は濱口竜介監督の『寝ても覚めても』を撮られた佐々木靖之氏だった。