しばらく前までは、夜中にはニェネントくんは押し入れの中かベッドの下か、わたしの目に触れないところで寝ていたようだったけれども、涼しくなってきたせいか、わたしが夜中に目を覚ましてみると、わたしの目の前のキャットタワーのてっぺんにいるようになった。それでキャットタワーの上で半身を起こして、わたしのことをじっと見ていることが多い。今朝も目覚めてみると、やはりわたしのことを見つめているのだった。
う~ん、寝ているわたしのことを見つめながら、いったい何を思ってるんだろうね。「愛してるよ!」とか思ってくれているのだろうか? ‥‥いやちがうね。早朝にニェネントくんがわたしのことを見つめているのは、「この人、早く起き出してわたしの朝ごはんを出してくれないかしらね~」ということだけを思っているのだ。はいはい、出してあげますよ。
さてそれで、目が覚めてみるとやはり、のどの調子はさらに悪化している感じで、のどに「たん」がたまっているし、首のあたりにしこりがあるような感じ。昨日映画館で映画を観ているときも咳が出てしまったりしたし、まったくよろしくない。今日は日曜日だから何もできないが、先日考えたように、明日になったらまず市の「医療安全相談センター」に連絡を取りたい。
考えてみたらその「医療安全相談センター」に連絡を取っても、今のわたしはもう東の駅の近くにある「耳鼻咽喉科クリニック」へ行くつもりでいるから、どっちかというと、通っていたクリニックへの苦情を訴えるみたいなことになるのかな?とは思う。まああのクリニックには今も立腹してるので、そういうことはしょうがない。
昨日電車に乗って映画を観に行って、映画(黒沢清監督の『Cloud』)もとっても良かったので、上映しているうちにまた観に行きたいと強く思っている。それと同じシネコンでティム・バートン監督の『ビートルジュース ビートルジュース』も上映しているので、これも観たい。そのシネコンではもう一本観たいという気のある『ナミビアの砂漠』もやっているんだけれども、この映画はちょっと疲れそうなので(というか、他に観たい映画があまりにいっぱいあるので)パスすることになりそうだ。
それでよく行くとなり駅の映画館では、この土曜日から一週間だけ、ジョン・カサヴェテス監督の『グロリア』が上映されるのだ。これは先日ジーナ・ローランズが亡くなられたので、その追悼上映なのだ。むかし観てめっちゃ良かった映画だが、例によって今ではこれっぽっちも記憶していない。観ておきたい。
次の週には『箱男』も始まるし、その次の週になると『ショーン・オブ・ザ・デッド』な~んていうのも上映されるし、そのあとには想田和弘監督の『五香宮の猫』が始まる。明後日から10月だけれども、10月はけっこういっぱい映画を観ることになりそうだ。
今日はそれで昼から、その『ビートルジュース ビートルジュース』のティム・バートン監督の『シザーハンズ』を観るのだった。この映画もだいたい忘れてしまっていて、ウィノナ・ライダーがジョニー・デップに「抱いて」って言うけれども、ジョニー・デップが「抱けない」というところしか憶えていない。
‥‥そうか、そういう映画だったのか。やはり素晴らしい映画だったではないか。
夜、『ダーウィンが来た!』で、今年の5月にアメリカで221年ぶりに起きた「十三年ゼミ」と「十七年ゼミ」との競合した「大発生」のことをやっていた。そうか、今年がそういう年だったのか。番組ではなぜか説明していなかったように思うが、「なぜ221年」なのかという問題。これは十三年ゼミは地中で13年間育った幼虫がつまり13年ごとに地上に出て来て成虫になり、同じように十七年ゼミは17年ごと。この2種のセミがつまり、13X17=221、221年ごとに2つが重なって競合してしまう、ということなのである。
それでこの日の放送でわたしが勉強になったのは、13とか17という数が「素数」だからあまり競合しないことからそうなったのではなく、新しい説として「4の倍数プラス1」なのだという説。つまり13は「4X3+1」で、17は「4X4+1」なのだ。その説によると地中のセミの幼虫は誕生から4年ごとに様子をうかがって、「よし!来年地上に出よう!」とか決めるというのだ。しかもこの十三年ゼミとか十七年ゼミは、仲間が「同調」していっせいに地上に出て成虫になるのだということ。
面白かったけれども、書いたように「221年」とはなぜなのかということ、同じ種類のセミは同調していっせいに成虫になるということの説明が番組では語られなかったので、「説明不足」だったろう、とは思うのだった。