ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『シザーハンズ』(1990) ティム・バートン:監督

 やはり、この作品がティム・バートンの最高傑作なのかなあ、とは思う(彼の全部の作品を思い出せないから、断定はできない)。
 現代の作家が描いた、「古典」と呼ばれるにふさわしい「おとぎ話」で、語り継がれる「おとぎ話」のエッセンスを見事に取り入れたのみならず、「おとぎ話」を越えた、普遍的な「理解されない芸術家」の寓話になっている、と思う。
 おそらく、「芸術家」であろうとするティム・バートンは、自らの自画像をこの主人公「エドワード・シザーハンズ」に投影し、そのことに見事に成功しているのだと思う。「世界」に認められることのない、孤高の「芸術家」の哀しみ。

 ジョニー・デップにとっても、この「エドワード・シザーハンズ」を演じたことは、以後の彼の俳優活動の精神的支柱となったのではないかと思えるところがあり、彼の決してメインストリームのメジャーな俳優として安住しないような姿勢の原点に、エドワード・シザーハンズがあるのではないかとも思える。Wikipediaを読むと、青年時代には「どん底」ともいえる生活を送り、自傷行為も繰り返していたというから、彼自身もこのエドワード・シザーハンズの役への思い入れも強かったのではないだろうか。
 この映画を観ると彼の白塗りの顔のメイク、特に彼の眼や眉のメイクに籠められた「哀しみ」そして「優しさ」とは奇跡的な情感を観るものに与えるようで、ウィノナ・ライダーの演じたキムの人生を変えるほどに惹きつけ、観客をも「別世界」へといざなうようだ。

 町の人たちは、エドワード・シザーハンズの中に「才能」は見つけるのだけれども、あくまでもその「才能」を経済的に消費しようとする。そんな中で、ダイアン・ウィーストの演じる、キムのお母さんのペグはエドワード・シザーハンズを「ひとりのヒューマン(人間)」と見ているようだ。ペグの存在は、この映画でとっても大きな意味を持っている。

 この映画のセットもとっても重要な意味を持っていて、皆が住む町並みのパステルカラーはまるで近年のウェス・アンダーソンの作品みたいで、まさに今、ウェス・アンダーソンの見る世界の原型のように見える。
 そしてやはり、エドワード・シザーハンズの生まれた(造られた)お城、ヴィンセント・プライスが住んでいた丘の上の屋敷の造形は見事なもので、それはもちろん「ゴシック・アート」の世界なのだけれども、この廃墟めいたモノクロの世界はまさに「おとぎ話」でもあり、特にこの屋敷の中の「階段」の素晴らしさ。

 「なぜ、それまで雪の降らなかったこの町に雪が降るようになったのか」というラストは、ダニー・エルフマンの音楽と踊るウィノナ・ライダーとともに、わたしには涙なくしてみることはできなかった。