原題は「Miss Peregrine's Home for Peculiar Children」。ティム・バートンの創出したこの映画のヴィジュアルは彼お得意のダークファンタジーとして見事なもので、アメリカの批評でも「ティム・バートンが復活した!」とするものもあった。しかしわたしの観た感じではこのストーリーはごちゃごちゃしすぎている感があり、ランサム・リグスという人による原作はベストセラーになっているから、原作では面白い複雑なストーリーを脚色するのに失敗したのかもしれない。情報量がかなり多いので、整理するのに苦労したのだろうか。
ティム・バートンはこのとき、長く連れ添ったヘレナ・ボナム=カーターとは別れた時期で、彼女が出演するのではなく、エヴァ・グリーンが「ミス・ペレグリン」を演じている。長身・細身で黒の似合う彼女は、この役にピタリだったようには思う。
彼女の他に主人公の男の子のジェイクにはエイサ・バターフィールド(スコセッシの『ヒューゴの不思議な発明』などに出演)、その祖父でテレンス・スタンプが登場。エヴァ・グリーンの仲間にジュディ・デンチ、そして「悪」の異能者のバロン役でサミュエル・L・ジャクソンなどが出演している。
音楽のいつものダニー・エルフマンはスケジュールが合わなかったとかで、この映画には参加していない。
映画には廃墟のような古屋敷が出てきて、それは(簡単に言うと)「タイムワープ」の異時間の世界のなかでは「廃墟」ではない立派な屋敷で、そこにはミス・ペレグリンという女性に庇護された「奇妙なこどもたち」が暮らしているのである。「奇妙なこどもたち」とはそれぞれが「異形・異能」の少年少女たちで、空気よりも軽く宙に浮いてしまう少女、超力持ちの幼女、透明人間の男の子、お腹のなかにハチを飼っている少年、実は秘密の顔をしているので、普段は着ぐるみに身を包んでいる双子の少年とか、十数人のこどもたちなのだ。そこに祖父のエイブの指示によって主人公のエイブがやって来るのだが、それは「悪」の異能者のバロンらが「人間」に戻るためにモンスターらを使って「奇妙なこどもたち」を狩ろうとしているのを救うためで、実は誰にもその姿の見えない「モンスター」を見ることができるという異能を持っていて、つまりエイブもまた「奇妙なこどもたち」の一人なのである。
ま、いろいろ省略してかんたんに骨子を書いたけれども、映画でのストーリー展開はずっと、いろいろとややっこしい。あと、世界には「タイムループ」の異時間世界への入り口があちこちにあり、終盤にはエイブはそんな「ループ」の入り口を渡り歩いて、ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたちを助けようとするのである。そんな終盤には、バロンとモンスターらと、奇妙なこどもたちとのバトルが繰り広げられるのだけれども、特に「遊園地」を舞台としたバトルこそは見ごたえがあり、この映画のひとつの「見どころ」だと思う(この場面でいっしゅん、ティム・バートン監督自身が登場していたと思ったが?)。そうそう、このシーンはティム・バートンのレイ・ハリーハウゼンへの「愛」にあふれていて、ハリーハウゼンの『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)にも登場する「骸骨の戦士たち」が登場し、活劇を繰り広げるのである。
そもそも題材としてティム・バートン監督にはピッタリだというか、「廃墟のような屋敷」に「異形・異能の登場人物というと『シザーハンズ』を思い出してしまうのだけれども、じっさい、屋敷の庭の植木はシザーハンズが剪定したかのように「動物」や「怪獣」のかたちをしていたし、屋敷のなかも『シザーハンズ』をほうふつとさせられるわけだし、「バロン」たちはまさにシザーハンズのような、腕がハサミになった人形同士を戦わせて遊んでいる。そして「バロン」は自分の腕を斧やナイフなどの刃物に返信させて戦うわけである。
また、「奇妙なこどもたち」はその姿では普通の世界では皆といっしょに生きてはいけないわけで、それをミス・ペレグリンが皆を庇護していっしょに共同生活をしているわけだ。ここにも、ティム・バートンの「虐げられるもの」へのシンパシーというものが、しっかりと描かれていたと思う。
ストーリーがゴタゴタとややっこしいのが難点だとまた書いておくけれども、特に特撮部分では、ティム・バートンの持ち味が十二分に生かされた作品だとは思う。