ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(2013) 乾緑郎:原作 黒沢清、田中幸子:脚本 黒沢清:監督

 Wikipediaを読むと、この原作小説は「他人の意識の中へ入って行く話」として映画化が考えられていて、「人間の本質にある怖さと、人の頭の中にある誰も見たことのない世界、精神世界を上手く作り上げられるのは、黒沢監督しかいない」ということで黒沢清監督がオファーされたという。黒沢監督は「映画で人の心は撮影出来ない」という原則に挑戦する思いで引き受け、まずは脚本家の田中幸子と共に原作を大きくリライトしたらしい。

 つまりこの作品、「昏睡状態」にある人間の意識にコンタクトし、意思の疎通を図ろうとするストーリーで、その昏睡状態にある人物を覚醒させようとする。これを佐藤健綾瀬はるかとが演じ、さいしょのうちは(佐藤健の意識からは)綾瀬はるかこそが「昏睡状態」にあるのではないかということだったが、実は佐藤健の方が「昏睡状態」にあり、それを「センシング・マシーン」とかいう医療機器を使って、綾瀬はるかの意識が昏睡する佐藤健の意識とのコンタクトを取るのである。

 解説ではクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』が引き合いに出されていたけれども、実はわたしはクリストファー・ノーランの映画は嫌いで、『インセプション』とか書かれても何のことなのかわからない。しかしわたしは、この作品の世界観をどこかで拒否するところがあり、それはひょっとしたらわたしの「クリストファー・ノーラン嫌い」ということなのかもしれない。
 わたしは黒沢清監督の作品は、あれこれ言わなくってもみ~んな好きなのだが、この『リアル〜完全なる首長竜の日〜』だけは、どこか違和感もあり、好きになれないところがあるのだ。
 例えばロケーションなどで街の風景、主人公ら二人の住むマンションの風景などの「非現実的」なところは嫌いではないのだけれども、病院の中の乱雑さだとか、出版社内部の乱雑さ(?)だとか、わたしにはこの作品の空気、雰囲気にはそぐわないように思ってしまう。
 そもそもがこの作品のこういう世界観が、本来の黒沢清作品にあった「不穏な世界」というものから、距離があるように思える。

 ただやはり、その「首長竜」が登場するシーンは好きで、その前振りで博物館に展示されている「首長竜」の骨格標本が映されるが、これは間違いなく上野の「国立科学博物館」での撮影で、こういうことに博物館が撮影に協力していたということをまずはうれしく思う。
 そしてこの「首長竜」の骨格標本は、「フタバスズキリュウ」という種で、1968年に福島県いわき市の川岸で鈴木君という高校生によって発見されたものだという。

       

 映画の終盤では、その「リアル」な「首長竜」が現われて、「これは『ジュラシック・パーク』か?」というような展開をみせてくれるけれども、わたしはこの「首長竜」が現われるシークエンスは、けっこう好きである。