ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-19(Mon)

 まずは、この秋の「シルバーウィーク」の第一弾の三連休は、今日でおしまいである。
 わたしは今回の「三連休」を楽しむどころか、この「体調」、いや、「精神」の不調によって、「ボロボロの三連休」になった感がある。しかし、「泥沼のような」時間経過はなんとか昨日で治まり(わたしだって努力したのだ)、「根本の問題」はそのまま解決されないままとはいいながらも、今朝の目覚めは「爽快」だったと思う。
 わたしはこの日まで仕事は休みだとわかっているから、「出来るだけ長寝したいな」と思い、いちど目覚めて時計を見てもまだ5時だったので、「もう一寝入り」と決め込む(仕事のある普段なら3時半には起きる)。
 しかし、「わたしの朝ごはんはどうなのよ?」というニェネントくんが、わたしが寝ているベッドの上に跳び乗って来て、わたしに向かって「にゃあにゃあ」と、ネコらしくもかわいい「啼き声」をあげる。
 この朝はわたしの精神状態も体調も比較的良好で、「やあやあニェネントくん、待たせてゴメン!」と起き出して、朝ごはんの「カリカリ」を出してあげる。

 ‥‥非常に大きな台風が日本を襲おうとしている。昨日まで非常にゆっくりとしたスピードで九州の南から北上して来た台風14号は、今朝の報道では九州に上陸したようで、このまま九州を縦断、日本海に抜けたあとは本州のカーブに沿って日本海を北東に進み、明日には東北地方を東に横断するような気配らしい。テレビの報道はすべて、この台風の人々への影響を憂慮した内容になっている。台風の勢力範囲が大きいため、今日の夕方あたりから明日にかけ、このあたりにも大きな影響があるかもしれない。
 とりあえず窓の外は青空も見えて、これは夕方まで崩れなかった。台風は能登半島のあたりに行っているらしいが、このあたりへの影響は今夜とか明朝以降になるのだろうか。

 わたしの「健康状態」は良くなり、この日は朝からあまり不安もないのだけれども、ただただ、「食べるもの、飲むものがまるで美味しくない」ということは継続している。口悪く言えば、み~んな「ヒデエもの」である。
 あともうひとつ、わたしの「精神状態」に絡んでいるかもしれないことで書いておくと、テレビを見ていてそのコマーシャルとかで、出て来る人物が「とても<日常>ではそういう表情はしないだろう」というのを目にしたとき、相当に「気味悪い」というか、「いや~な気分」になってしまう。これは特に「コマーシャル」みたいな、出演者に不自然な表情、身振りをさせるときに強く感じてしまうのだけれども、例えば「コメディ映画」とかを見ても同じことだろうとは思う。そういうので今は、たいていの「コマーシャル映像」が超苦手、ではある(どうやら、ある種の「司会者」の身振り・発言でも不快になるし、いわゆる「歌手」「パフォーマー」もダメだろうと思う)。このことは、もうちょっと深く考えてみたいとは思ってはいるけれども(だって、わたしは「ダンス」とか「パフォーマンス」の舞台のファンだったはずなのに、それが根底から突き崩されてしまうかもしれないのだから!)。

 そういうのでは今やっている「相撲」が、見ていても「真剣勝負」で、まったく不快にもならず気もち良く見ていられる。今場所は上位陣は「ボロボロ」だけれども、北勝富士玉鷲、そして高安らの「ベテラン勢」ががんばっているのがいい。
 まあわたしは何といっても「栃ノ心」の大ファンなのだが、もう彼も体はボロボロだろうし、「いつまでもどこまでも」というわけにも行かないのだろうな(でもあと2~3年はわたしを楽しませていただきたい)。最近は「翠富士」の覇気が、彼のルックスもいいことだし応援したいところだ。このところ、4場所連続していい成績で勝ち越していることだし、今の不甲斐ない大関陣に交代しての「ニューカマー大関」で、のし上がって来て欲しい力士だ。「若隆景」とか「宇良」もいいけれども。
 とにかくは、来年ぐらいには「大きな世代交代」が起こるべきだろうとは思うのだ。

 夕方からネットの記事でブライアン・ウィルソンBrian Wilson)のことを読み、久しぶりにビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』(1966)を聴いた。その1曲目が「素敵じゃないか」(wouldn't It Be Nice)から始まるように、まさに「素敵」なアルバムで気もち良く聴いて、ちょっと傷んでいた神経にも「いい影響」を与えていると思いながら聴き続けていた。
 しかし、いちばんラストの曲が「キャロライン・ノー」(Caroline, No)で、その曲の終わりには「列車の通過音」と「犬の吠え声」が入っているのだが(「記憶にない」わけではなかったが、ここまでに今のわたしにインパクトがあるとは思わなかった)、そこを聴いたときにわたしの精神状態はまたまた、「ズルッ」と崩れ落ちてしまう思いを味わってっしまった。もっと思索的になれる気分のときにこの「ラスト」を聴くのもいいのだが、今はただ、この音に(特に犬の吠え声)に引きずられてしまうのだった。

 犬の声に対抗するのは「ネコの声」というか、この日もわたしのそばでニェネントくんがすわり込んでいて、じっとわたしのことをウォッチングしている。そんなニェネントくんにいろんなことを話しかける。話しかけられたニェネントくんも「何か言われてるな」とわかって、彼女もわたしに返答して啼くようなことになり、実のところ「まったく通じ合わない会話」が成立するのだった。
 わたしはニェネントくんに、今まで話したこともない(当然か)わたしのニェネントへの気もち、思い(「愛しているよ!」)を語り、ニェネントの暮らしぶり、今まで12年のニェネントの「成長」へのシンパシー、心配事とかを語る。
 それでいったい、ニェネントくんがわたしに「何を語りかけたのか」は、つまりはわからないのだった。

       

 台風の影響はこのあたりでも出て来るかとは思っていたが、夕方5時ぐらいまでは窓の外に青空が拡がっていたようで、そのあとになって曇って来た気配だった。明朝はこのあたりもかなりの雨になるとの予報も出ていた。明日からはまた仕事だし、心配だ。