ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-18(Sun)

 昨日から明日まで三日間、「秋の連休第一弾」でお休みなのだった。前からいちおう楽しみにはしていたのだったが。

 早朝目覚めると、どうも様子がおかしかった。というかどこか体調が変だ。落ち着かないままベッドで横になりつづけていると、ニェネントくんがベッドのわたしの脇に跳び乗って来て、「いつまで寝てるのよん! わたしの朝ごはんは?」とアピールする。
 「ごめんごめん、ニェネントくんおはよう!」とあいさつをして、ニェネントくんに朝食のカリカリを出してあげるが、どうもわたしの調子がおかしい。言ってみれば「脳を包帯をグルグル巻きにされ、締め上げられるような感覚」である(これはもうちょっとあとの反応だけれども、「食べるもの、飲むものがことごとく<不味い>」ということもあったが)。

 これはしばらく前に経験があり、調べてだいたいわかっている。「緊張型頭痛」というヤツで、ずっと同じ姿勢でパソコンとかに向き合いつづけていたりすることが原因であったりする。
 ‥‥しかし、この朝はちょっと異なるというか、実は「きのうのこと」がまるで思い出せなかったのだ。それはつまり「きのうから連続する今日という日」への、時間の連続性が失われているということではあるし、とにかくは「直近の記憶」が失われるというのはヤバい。ヤバすぎる。
 実は一ヶ月前、8月中旬にもやはり同じような目にあっていて、そのときには「また<側頭葉てんかん>の再発?」と畏れたわけだった。

 しかしこれは先月のときにも考えたことだが、過去に<側頭葉てんかん>の発作が起きたとき、その「てんかんの発作」以外の「身体的不調」などはなかったわけで、「これは<側頭葉てんかん>ではないのではないか?」とは考える(「こういう<シロウト診断>」がいけないのだが)。

 「昨日の記憶が残っていないようだ」ということよりも、「今の身体的不調」の方が重大問題で、もうな~んにも「やる気がしない」。ぼんやりとしていて、そんな中でときどき「<死ぬ>っていうのはこういう状態のことなのかな?」とか思えたりもした。とにかくはわたしはそのとき、「日常」からは完全に「離脱」していたことだろう。

 朝食は何とか、冷凍してあった食パンにハムとチーズをのせて電子レンジでトーストし、ペットボトルの「カフェオレ」ですませた(かつての定番の朝食で、最近はあんまりやらない)。
 食べるものは何でもまるで美味しくないのだが、それ以上に、毎日飲んでいるウィスキーが、これがまったく美味しくないことに閉口する。「こんな味なはずはないのに!」とは思うのだ。
 ‥‥しかし、このところしばらく、その「ウィスキーの飲みすぎ」ということはわたし個人が「否定」しても、おそらくは全世界から「それはちがうね!」と反駁されることだっただろう。これはこれで「ひとつの契機」として、「アルコール離れ」が出来ればいいではないか、とは思う(いや、「熱望」かな?)。

 昼食はそんな冷蔵庫にいっぱいストックしてある「中華麺」ですませ、テレテレとテレビを眺める午後。
 台風が近づいていて、どうやら九州を縦断するようなコースを取り、そのあと日本海へ抜けて本州に沿ったコースを取りそうだ。異様に規模の大きな台風ということもあり、テレビなどでも「警戒」を呼びかけているし、明日以降は、南関東のこのあたりにも影響がありそうだ。

 「夕食、何か食べなくっちゃなあ」とか思うが、キッチンで何か仕込む元気もなく、この一日一歩も外に出てもいないし、いちばん近いコンビニへ「コンビニ弁当」を買いに出かけた。
 いちおうわたしの頭の中には「この日記は毎日書いていることだし、毎日何らかの写真もアップしているよなあ」ということはあって、そのコンビニへの道を歩きながら、国道わきの「何でもない」草むらを撮影したのだった(「遠景」「中景」、そして「近景」のはっきりしたこの写真、こんなのいいわけないけれども、わたしは好きである)。

     

 コンビニで妙に豪華な「お弁当」を買っても、今のわたしの口にはだいたい合いそうもないので、シンプルな「おにぎり弁当」というのを買って帰ったが、やっぱりまったく美味しくはなかったのだった。
 何を食べても「美味しくはない」、何を飲んでも「美味しくはない」。「生きる楽しみ」を奪われた気もする。