ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-08-15(Mon)

 月曜日。今日からまた仕事があるのだけれども、神経状態のおかしい自分の気分としては、なんだか4~5日ぶりに仕事に出るような気分である。

 昨夜いろいろ考えて、仮に「側頭葉てんかん」の発作が久しぶりに起きたのだとしても、以前そんなてんかんの発作が起きたあとは、ごく普通に健康そのものの生活をしていたわけだった。もしも仮に土曜日の朝あたりで発作が起きたのだとして、その後も神経・精神状態がおかしく、まったく食欲もなかったということは解せないし、その症状を調べてみても、そもそも自分では「発作」が起きたのかどうかの認識はないので、「わからない」という結論になる。「ちがうのではないか」という気もちが強いが、土曜の朝に記憶が消えていたのだとしたらそのときに「発作」が起きていて、まさに「側頭葉てんかん」だったという可能性がないとは言えない。

 とにかく「発作を抑える」としてこの春まで飲みつづけていた「テグレトールカルバマゼピン)」を今は服用しなくなっていることは事実だし、やはりまた国分寺のクリニックへ行き、薬を処方してもらうのがいちばんのようには思える。その国分寺のクリニックには去年の十月以来通院していないのだが(薬は前からの残りもあって、今年の四月ぐらいまでは毎日飲み、そのあとはちょっと間隔を置いたりして飲んでいたが、六月にはなくなってしまっていた)、また電話すれば予約は取れるだろう。

 試しに、通院しないで薬だけゲットできないものかと検索してみたが、同種のジェネリック薬品があることはあったのだが50錠で3600円とかするわけだ。そりゃあ「自立支援医療」の対象になるわけだ。
 今、過去の領収証が取ってあったので見てみたが、そのクリニックにはだいたい3ヶ月に一度通院していたのだが、その「自立支援医療」のお世話になって、クリニックの診察料が1600円ぐらい、そして処方される「テグレトールカルバマゼピン)」は1日2錠で90日分、つまり180錠でなんと「350円」なのだった。つまり、通販で無理して買ったとして150錠だと1万円を超すが、通院して「自立支援医療」のお世話になれば、350円なのだ! これは問題にならない。
 やはり、「側頭葉てんかん」の治療(再発予防)をこれ以降もつづけるならば、国分寺のクリニックへまた通院するようにするのがいいみたいに思える。

 さて仕事。いつものように4時35分に家を出ると、先週よりもさらに「暗さ」が増している。まだまだ車にライトが必要な暗さではないが。
 空を見上げると、先週に満月だった月が少し欠けて、高い空にかかっているのが見えた。暗いからわからなかったが、雲ひとつない晴れ空のようだ。
 「ネコの姿でも見られないだろうか?」と歩いて行くと、歩く道のことに注意を払ってなかったわけで、先が「行き止まり」になっている、「駅前整備中」への道に入ってしまっていた。こういうところも、やはりわたしが「正常」ではないという証になるのかもしれない。
 でも進んで行くと、「行き止まり」の柵のところに国道側へ出る道がつくられていたわけで、多少遠回りになったけれども(いや、距離的には変わりはないかもしれない)、ちゃんと駅に到着できた。
 今日歩いた道を思い返してみると、人や車の行き来もないし、人家建物もない野原の中を歩くようで、やはり気分がいい。これからもこの道を歩いてもいいな、とは思うのだった。

 実はこの日はちょっと楽をして、さぼり気味に仕事をやったのだが、特に「障害」や「ひどい疲れ」ということもなかった。ただ、今は「熱中症」予防ということもあって、仕事場にペットボトルを2本持ち込み、仕事の合間などに飲んでいるわけだけれども(だいたい1日に2本飲んでしまうようになった)、それがスポーツドリンクとカフェオレで、まったく味はちがうのだけれども、飲んだあとの「後味(あとあじ)」というのが、どちらのドリンクも同じような感じなのだ。
 これは何もこの2種のペットボトルに限らず、帰宅したあとにちょびっと飲んだアルコール(ウィスキー水割り)にしても、飲んだあとの口の中は同じ味が残っている。
 これはやはり奇怪なわけで、「味覚障害?」と思ったりして、それならば「COVID-19」の可能性もある(とも考えられる)。

 ドリンク類に限らず、「食べ物」に関しても「???」というところがないわけでもなく、まあ食べたものごとに確実に味はちがっているのだけれども、どれもこれも「おいしくな~い!」ということが共通している。
 まあ先週つくった偽「パエリア」がひどい味だったのは、そもそもそういう味だったのかわたしの炊飯の失敗のせいとも考えられるけれども、昨日東のスーパーで買った、「このスーパーの海鮮品はおいしいはず」という「海鮮お造り」も、実のところまったく「美味」ではなかったのだ。はたして、こういうのも「味覚障害」とか言えるのか?(まあムリして自分のことを「COVID-19」に近づけることもないが)

 帰宅すると、今朝もエアコンの温度設定を「29度」として家を出ていたので、ドアを開けて部屋に上がると「ちょうどいい」涼しさだったし、今日もニェネントくんはリヴィングの窓際でのんびり休んでいた。
 今日も外は気温が上がり、34度にまでなったらしい。この暑さはもうちょっとつづきそうだけれども、わたし自身にとっても、帰宅したときに「29度」設定にしてあったエアコンが効いていると、「エアコン効きすぎてるなあ」ということもなく、ちょうどいいのである。これがわたしもずっと室内で過ごしているようだと、(おそらくはわたしの体温のせいで?)ちょっと「29度」設定では冷房が弱く、28度、いや27度ぐらいにセットしてしまうのだが、小さなからだのニェネントくんひとりでのお留守番なら、「29度」が最適なのだろう。

 このごろニェネントくんは、わたしがリヴィングに居座っているとき、たいていはいつも机の前のわたしの近く、リヴィングとキッチンとの境い目あたりにしっかりすわり込んで、わたしとの「ソーシャル・ディスタンス」(1.2メートルぐらい)を守ってまどろんでいる。
 前はわたしがリヴィングにいても、ニェネントくんは和室の押入れに引きこもっていることが多く、食事の時間が近づくとニェネントの体内時計で押入れから出て来て、わたしに「ごはんちょうだい!」と催促するのだったが。
 ニェネントくんがずっとわたしのそばにいると、ついついニェネントくんの食事の時間を失念してしまう。いつもはだいたい午後3時半がニェネントくんの夕食の時間なのだが(朝食は午前3時半だ)、この日「あれ? まだニェネントくんにごはんをあげてなかったよな?」と時計を見ると、もう4時になっていた。まるで食事の催促しないで、ずっとおとなしくすわり込んでいるのでわからなかった。

     

 「ニェネントくん、ごはんだね!」とニェネントに話しかけてわたしが立ち上がると、ニェネントにもそのことが伝わり、「にゃん!」とないて前足を前にぐ~んと伸ばし、お尻を持ち上げてしっぽを立て、かわいい「伸び」をみせてくれる。
 ニェネントくんの夕食は「ネコ缶」なので(朝食は「カリカリ」)、台所に立ってニェネントくんのお皿に食事を盛って上げ、トッピングにネコカマとかネコ用かつおぶしとかふりかけてあげていると、ニェネントはわたしの足のまわりをぐるぐると廻り、そのときはわたしもズボンはかずにパンツいっちょなので、ニェネントはわたしのすねをペロリとなめてくれるのだ。あんまりわたしにスキンシップを取ることもないニェネントの、わたしへのいちばん濃厚なコンタクトなわけで、ただただわたしはうれしい気もちでいっぱいになる。今は体調も良くないので、この日はうれしくって涙をこぼしてしまった。

 長くなってしまった。そう、わたしが和室のベッドで寝るときも、ニェネントくんはさすがにベッドの上でいっしょに並んで寝たりはしないけれども、わたしの寝ているベッドのすぐ下に、やはり「ソーシャル・ディスタンス」をキープする距離で、横になって足を伸ばして寝ているのだ。これもこの数日つづいていること。
 なんだか、ニェネントもわたしの調子がおかしいことがわかっていて、(昼間もそうだけれども)「そばで見守ってあげてるからね!」ということだろうかと思う。まあ12年以上いっしょに暮してますからね、わたしがニェネントくんのことをわかる以上に、ニェネントくんはわたしのことをわかってくれているのだと思う。ありがとう。