ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-08-16(Tue)

 昨日はあまり日記が長くなったので書かなかったが(いちおう、あまり一日の記述が長いと、この文才もない文章、読まれる方も飽いてしまうだろうとは思っているのだ)、昨日8月15日は太平洋戦争で日本が無条件降伏し、実に多くの無垢の人たちの命が失われたことも(いちおう)終結し、それから77年になる日だった。
 月曜の早朝はテレビ放送がいつもより遅く始まるNHKも、「どうせ試験電波放送だろう」とテレビをつけてみたら、あの「インパール作戦」の記録ドキュメンタリー番組を放映していた。こういう「インパール作戦」の記録は、戦争の時日本軍上層部はこ~んなにバカだったのだということを、いつまでも後世に伝えるため、毎年放映していただきたい(わたしも何度か見ているが)。
 8月15日だからと、特にわたしが心がけていることもないが、先週は塚本晋也監督の『野火』を自宅で観たし、そういうことから今はその大岡昇平氏による原作の『野火』を、寝る前に少しずつ読んでいる。この作品らを「戦争文学」と呼ぶなら、わたしは今までに「戦争文学」というものをしかと読んだ記憶はない。「今になって初めて」か?

 精神・神経状態がヤバくって本が読めるのか、ということがあるが、少しずつの読書だし、「昨日読んだところを忘れてしまったから困った」という作品でもないので(と書くとヤバいが)、今のところ問題はない。
 ただ、今はずっと通勤時間とかに『ポオ小説全集3』を読みつづけていて、「あと残りもう少し」なのだが、昨日本を開いてみると、読み終えたはずの作品の記憶がまるっきし残っていなくって、それは先週の後半に読んでいたあたりの作品で、やっぱりその頃から、精神・神経状態はよろしくなかったのだろうと思った。それでちょっとさかのぼって、「記憶から飛んでしまっている」作品を再読し始めた。まあ順調に行けば今週中にこの「第3巻」は読了するだろうが。

 昨夜はテレビの「ファミリーヒストリー」とかいう番組で大森南朋氏が取り上げられていたので、ついつい見てしまった。もちろん大森氏の父は麿赤児氏であり、彼の兄は映画監督の大森立嗣氏であられる。
 しかし見ていて、かつての「状況劇場」のスチル写真、そして「大駱駝艦」の映像、じっさいの麿赤児氏の登場などで、「これは今のわたしは目にしてはいけなかったのだ」と、けっこう気分が悪くなってしまった。わかったのだが、今のわたしがダメなのはそういう「芸」とかいう映像だけでなく、昔の「肖像写真」などの固い表情、そしてその「眼」のイメージとかも、直視出来ないことがわかった。
 しかし、大森南朋氏のお母さん、つまり麿赤児氏の夫人というのは、知らなかったが「60年代新宿の伝説の人物」だったというか、あの「風月堂」(わたしもギリギリ、一度だけ行った記憶がある)の「女給」で名を成し、その後にバー「ダダ」のマダムになられたという人物だったという。「ダダ」も名前は聴いたことある気がする。わたしは未成年だったし、行かんかったが。

 今日もこの日記は長くなりそうだ。どうも神経を病んでいると、やたら文章を続けたくなるものなのだろうか?(勝手に「わたしは神経を病んでいる」と決めつけているが)

 今日16日も、また暑くなるという。またニェネントくんのために冷房を「29度」にセットして家を出た。この朝も何だか足元がフラフラするようで、元気はまるでない。頭の中の脳みそのまわりに、包帯をグルグルとちょっとキツめに巻いてあるみたいな感じで、頭全体がじわっとしびれているような感覚もある。コレはヤバいのだろうか?
 いつもの裏道から国道に出て振り向くと、日の出ちょっと前の東の空が、朝焼けでオレンジ色っぽく染まっているのが見られた。国道を歩くのは好きではないが、今の季節、こうやって日の昇ってくる東の空の方向の、見晴らしがいいのだけは気に入っている(しかしもうじき、わたしがココを歩く時間には空は「真っ暗」になってしまうのだ)。

     

 今日も仕事は「まあ適当に」遂行するのだが、今は「お盆休み」ということでビルに入っているテナントも休みのところが多く、この建物のひとつの特徴である「貸会議室」もすべて予定はなく、ビルの中であまり人に会うこともない。でもこの日は、わたしがときどき話を交わす「設備」のSさんの出勤日で、どうせ他の人もいないし、けっこう長く立ち話をしてしまった。それでもって、おそらくは話をした内容がどうこうだったというのではなく、神経状態はめっちゃスッキリしてしまい、心の中のうだうだしていた部分がいちどに消えてしまったような感覚になった。どうも、わたしも長いことひとりでこもりっきりで、人と話をする機会もなかったわけで、つまり多少は「鬱(うつ)」ということでもあったのではないかと思った。とにかくは、(まだまだでもあるけれども)精神的にはかなり元気になれた。

 では今日の夕食は何か「おいしいもの」をつくろうか、などと思い、それなら冷蔵庫にまだ白菜が四分の一ほど残っているし、冷凍庫では牛肉も眠っていることだし、何か<すき焼き>っぽい味のモノが食べたい、という第一志望だった。
 それでケータイで検索すると、鍋モノだけれども簡単に出来そうなものがあり、今夜はコレをつくることにした。自宅駅前のスーパーで豆腐だとかしらたきだとか足りない材料を買って帰宅。この日も、ニェネントくんがわたしの帰るのをリヴィングで待っていてくれた。

 前に買ってあった調理いらずの「冷やし中華」で昼食にし、落ち着いてから「やはりこの体調、早いうちにいちど病院へ行っておこうか」とも考え、いつものかかりつけの内科クリニックもどうせ来週には行かなければならないから、ちょっと早く行って、たとえ内科で解決がつかなくっても、いつもの医師の話をうかがっておこうかと考えた。しかしそこで「今はお盆休み」ということを思い出し、調べたらそのクリニックは明日まで休みなのだった。

 昨日考えたように、「やはり国分寺の<てんかん>専門のクリニックにも行くことを考えておかないとな」と、診察券、予約券など探したのだが、予約券はサイフの中にあったけれど、診察券が見つからない。まあこれは何とかなるだろうけれども、ある意味いちばん必要な、県の発行する「自立支援医療受給者証」が見つからない。この春まで有効の古い受給者証はあったのだが、そのあとの最新のものが送られて来た記憶がある。けっこう懸命に探したが見つからなかった。
 まあこちらも、市役所に連絡して「再発行」してもらう手続きをするべきだろう。またひと仕事増えた。

 夕方になり、まずはご飯を炊飯器で炊くセットをし、これからつくろうとする「すき焼き風煮」という料理のレシピをしっかり読む。
 ‥‥むむ、「しっかり」読むほどのモノではない。まず「みりん・料理酒・しょう油・砂糖」という調味料を混ぜ合わせ、牛肉以外の野菜などの材料といっしょに鍋にぶち込み、煮立てさせたあとに牛肉を加えるだけ。こういうのを「レシピ」というのだろうか。やることは「調味料」を混ぜ合わせ、野菜などを包丁で切るだけである。工程は素材を鍋に入れて煮立てるだけのことだ。まるでキャンプ場で仕込むような料理だ。「もうちょっと、炒めるとかの手順がほしいな」とは思ったが。
 で、あっという間に完成。ものすごく大量に(鍋いっぱい)つくってしまったので、3食分ぐらいはある。器によそって、いただく。
 これはアレですね、不味くはないけれども、決して「うまい」というものではない。<すき焼き>には程遠いモノがある。言ってみればこれは「季節労働者がその宿舎でガバッと提供されるような食事」ではないか(わたしは「季節労働者」をやったことはないが)。いや、そういう言い方は「季節労働者」への偏見が含まれているか。ではもっと口悪く言えば、そのつくる過程(最低限の工程で、いちどに大量につくれる)からも、コレは家畜の「エサ」ではないか、という感覚である。

 う~ん、せっかく「美味しいモノ」をつくろうと意気込んでいたのに、こんなものをつくってしまった。しかも、まだまだ2~3食分残っているのだ。けっこう悲しい。今日はもう寝よう。