ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『アンナの出会い』(1978) シャンタル・アケルマン:脚本・監督

     

 この映画は、わたしが今まで観た映画の中でも、もっとも大きな感銘を受けた作品だった(と思う)。それはけっきょく、わたしが「映画」に求めているのは「ドラマ」とかいうものではない、ということだっただろうか。いや、この映画はこの映画で、また別の「ドラマ」が描かれているわけだろうけれども。

 わたしはこの「シャンタル・アケルマン映画祭」で、これまでに2本の彼女の作品を観て、その『私、あなた、彼、彼女』と『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コルメス河畔通り23番地』のどちらの作品にも大きく揺り動かされたのだったが、この『アンナの出会い』には、その先にわたしが観た2本の作品の、まさにわたしが心動かされたところのポイントが、さらに増幅されてフィルムに定着されている感を得た。そしてその「ポイント」とは?と問われるなら、今はそれは「人間観察の視点」と答えたいと思う。

 この映画の主人公アンナはヨーロッパで活動する映画作家で(ベルギー出身で、パリで暮らしているらしい)、自作のプロモーションなどのため、ヨーロッパの各地の都市を巡っている。
 この映画では彼女はまずはドイツの地方都市を訪れ、ベルギーの母から「会いたい」との連絡を受けて母と会い、そのあとパリに戻って彼氏との逢瀬、という進行。

 アンナを演じられているのはオーロール・クレマンという女優さんで、この方は『パリ、テキサス』にも出演され、なんと『地獄の黙示録』にも出ておられたというが、わたしは知らない女優さんだった。しかし、監督のシャンタル・アケルマンのイメージは違和感なく引き継いでおられたと思う。
 その他の出演者、この作品でアンナが出会う人は5人いたのだが、実はわたしはその共演者俳優のほとんどを知っていた。
 まずドイツで出会う教師だったかの男(妻に娘を置いて出奔され、田舎の家で母といっしょに暮して娘を育てている)を演じるのはヘルムート・グリームで、この人は『地獄に堕ちた勇者ども』や『ルードウィヒ』にも出演され、何よりも『キャバレー』で重要な役を演じられていた。
 そのあと、ケルンの駅で偶然出会うアンナの母の友人はマガリ・ノエルで、この女優さんは何と言っても、フェリーニの『サテリコン』と『フェリーニのアマルコルド』で、強烈な印象をわたしに残した女優さんだった。
 ケルンからブリュッセルへの夜の列車の中、通路で話をしたのがジャン=ピエール・カッセルで、この人はヴァンサン・カッセルのお父さんなのだけれども、わたしはなぜかこの役者さんは記憶に残っていた。
 そしてブリュッセルで会うお母さんを演じるのはレア・マッセリで、『情事』や、わたしの好きな『国境は燃えている』に出られていた。
 パリで再会する、アンナの恋人はハンス・ツィッシュラーという方で、ヴェンダースの『さすらい』とかに出演されていたらしいが、わたしはこの俳優さんだけはわからなかった。

 この作品の演出スタイルは、『私、あなた、彼、彼女』の発展形という印象もあり、その『私、あなた、彼、彼女』のパート2で、とつぜんヒッチハイクでトラックに乗ってしまったヒロインが、そのトラックの運転手の語る話を聴きつづけた場面を思い出す。
 じっさい、ヒロインのアンナはその前半では、ただただ自分と対峙した相手の話を聴くばかりのようではある。

 そういうところでは、導入部のドイツでのヘルムート・グリームとの出会いがこの作品の基調を決めているようではあるが、妻に逃げられて
孤独に苛まれる男の、「下心ありあり」の誘いからアンナは彼の郊外の家を訪ねるが、(少なくとも映画上は)決して彼の家の中に足を踏み入れることはない。

 わたしがこの作品でいちばん心動かされたのは、ケルンからブリュッセルへの夜の列車の中で、タバコを吸おうと列車通路で出会ってその話を聞く、ジャン=ピエール・カッセルとのシークエンスで、もうこのシーンだけなら、わたしが今まで観たありとあらゆる映画の中でも「最上」ではあったと思う。それは単にこの二人が列車の通路でタバコをふかしながら話をする、というにとどまらず、夜に運行するその列車が駅に到着するたびに映される、そんな駅の、夜のホームの様子の映像からの「感銘」だった。
 もうスクリーンを観ていても、駅に着くたびに「ああ、また駅に着いた」という気もちに動かされ、その闇の中で駅の照明で浮かび上がる「駅名表示」や、人のいないホームの姿とかに、なぜか心がときめいてしまうのだった。
 このシークエンスはまさに、『私、あなた、彼、彼女』の延長にある感じで、わたしの中では「映像とは何か」という思索を呼び起こすものだった、だろうか。

 さいごの、パリでの彼氏との逢瀬は(わたしの感想では)ちょびっと脱線してしまっていて、「なんだ、けっきょくこのヒロインも<人恋しい>のか?」というところだったが、それは前に観た『ジャンヌ・ディエルマン‥‥』でも共通するものだったかもしれない。わたしはそう思った。