ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ヨーロッパ横断特急』(1966) アラン・ロブ=グリエ:脚本・監督

ヨーロッパ横断特急<HDレストア版> [DVD]

ヨーロッパ横断特急<HDレストア版> [DVD]

  • ジャン=ルイ・トランティニャン
Amazon

 「Amazon Prime Video」でのこの作品の紹介には、「パリからアントワープへと麻薬を運ぶ男の波乱万丈な道中を、幾重にも織重なったメタフィクションで構築し『ヨーロピアン・アバンギャルドの最重要作品』、『最も成功した、理解しやすい実験映画』と絶賛された」と書かれている。ほんとかよ。

 原題はそのまま「Trans-Europ-Express」だが、クラフトワークが音楽を担当しているわけではない(笑)。
 この、『不滅の女』に次ぐアラン・ロブ=グリエの第2作映画はジャン=ルイ・トランティニャンが主役で、トリュフォー作品にもよく出演していたマリー=フランス・ピジェも出演。何だか、一気に豪華である。

 作品はベルギーのアントワープからパリへ「ヨーロッパ横断特急」を使って麻薬を密輸する「運び屋」の映画というか、「ヨーロッパ横断特急」に乗って「この列車を使って映画を撮ろう」と話をしている映画監督・スタッフの立案が、そのままこの映画になっているというあんばいである。映画の途中で監督らの案は変更になったりし、その都度映画の進行はフィードバックされて変更されたりもする(したがって同じようなシーンが何度もあらわれたりもする)。

 映画はこの映画の監督(アラン・ロブ=グリエ本人)がパリ北駅から「ヨーロッパ横断特急」に乗り込み、コンパートメントで映画のスタッフの2人(うち1人は監督夫人のカトリーヌ・ロブ=グリエ)とおちあい、列車の中で「この列車を使って映画を撮ろう」と話すところから始まる。テーマは「麻薬の密輸」にしようと。
 ここで映画にはパリ市街を北駅へ向かう、挙動不審なジャン=ルイ・トランティニャンが登場する。彼はまさに監督らが話していた「麻薬の密輸」をやろうとしているようで、バッグを売る店で「密輸に使う二重底で麻薬を隠せるようなカバンをくれ。いや、冗談だよ」な~んていってカバンを買って駅に行き、彼は売店で「緊縛写真」のいっぱい載ったグラヴィア雑誌を買う。すぐに売店に引き返し、同じような「緊縛写真」の雑誌を1冊ちょろまかす(この前にロブ=グリエ監督が同じグラヴィア雑誌を買っているシーンもあったし、「緊縛」というのはロブ=グリエ氏の趣味なのだろうと思う)。
 トランティニャンも「ヨーロッパ横断特急」に乗り込み、映画監督ら3人のいるコンパートメントの空き席に座る。映画監督らの視線が気になったのか、すぐにそのコンパートメントを出て行く。

 監督らは「今の挙動不審の男は誰だ」「トランティニャンよ」「彼をこの映画に使おう!」とか話している。
 っつうことは、ここまでのトランティニャンの登場するシーンは、そのとき監督らが話している映画、すでにその映画の中に組み込まれていたわけだ。じっさい、ここまでのトランティニャンの行動は、映画冒頭での監督の行動をなぞるものになっている。「メタ映画」の始まりである。

 映画の中でトランティニャンは「エリアス」という役名を与えられ、アントワープで「ブツ」をロッカーへ預け、自分は本のページをくり抜いて収められた銃を受け取ったりし、密輸組織の人間と連絡を取りながら行動して、「ノワール映画」風の枠組みにはなる。エリアスはホテルに投宿し、組織に指示された場所へ向かうのだが、彼がホテルの部屋を出ると客室係の女性はエリアスの荷物を探り始めたりする。
 街でエリアスは娼婦のエヴァ(マリー=フランス・ピジェ)に誘われて彼女の部屋で遊んだりする(エリアスはやはり、「緊縛プレイ」がお好きなのであった)。エヴァもまた警察側の人間で、エリアスの行動を探っているのかもしれない。

 エリアスが出会う人物は密輸組織の人間なのか、それとも密輸を取り締まる刑事なのか、映画の中でその役を演じている俳優なのか。
 エリアスはカフェで働くマチューという青年と知り合うが、映画ポスターのいっぱい貼ってあるマチューの部屋に行ったエリアスは、今までの自分の話をパリで出ているコミックの話としてマチューに聞かせたりもする。マチューは続きを知りたがる。

 エリアスが任務を果たしてパリに戻って密輸組織に連絡すると、「今までのはお前をテストしていただけで、今度は本番でアントワープへ行ってほしい」といわれるのだ。
 エリアスは前回の行動をなぞるようにまたアントワープへ行くのだが、エリアスを監視しているような人物の姿は前よりも増えているようだ。今回はブツを運ぶ仕事もうまく行かず、組織の人間に追われるエリアス。

 またエヴァのところへ行ったエリアスは、エヴァが警察のスパイと知り、緊縛プレイ中に彼女の首を絞めて殺してしまい、マチューの部屋にかくまってもらう。警察はエリアスの犯行とわかっていて、彼をおびき出すために新聞に「キャバレーでの緊縛ショー」の広告を載せさせる。
 「緊縛」に抗うことのできない(笑)エリアスはそのキャバレーへ行ってしまうのだが、そこには刑事らも密輸組織の連中も来ているのだった。刑事がエリアスを逮捕しようとしたとき、密輸組織がエリアスを射殺してしまう。

 アントワープ駅で「ヨーロッパ横断特急」を降りた映画監督ら3人は、駅の売店で買った新聞で事件の顛末を知る。
 「(映画化は)無理だな。実話は退屈すぎる」と語る監督が駅を出るとき、ジャン=ルイ・トランティニャンとマリー=フランス・ピジェとが抱き合っているのとすれ違うのだった。

 長々と、書かなくてもいいストーリーを書いてしまったが、とにかくは考え込まなくっても「楽しい映画」であることはたしかなことではある。コメディーすれすれのところにある作品でもあるとも思うけれども、ジャン=ルイ・トランティニャンのちょっと挙動不審な演技と視線とで、「ひょっとしたらすんごく奥行きの深い作品なのかもしれない」とも思わせられてしまうのだ(いや、奥行きの深い作品ですよ)。とにかくは映画ラストの、マリー=フランス・ピジェと抱き合って視線はカメラに向けられるジャン=ルイ・トランティニャンの表情こそ、この映画のラストにぴったりではあり、ちょっと心を持って行かれる。

 登場人物はみ~んな、メタフィクションの中で「実体のない人物」のように思われるのだが、登場人物皆がウソをついていたような前作『不滅の女』の中で、カトリーヌという人物だけが「本当のこと」をいっていたとわたしが感じたように、この映画ではマチューという人物だけが「メタ」の中に沈み込んではいないように思った。彼だけはエリアスに対して誠実で「二重性」は持っていないように思われた。考えればこのマチューの部屋には『007ロシアより愛をこめて』だとかの映画ポスターがいっぱい貼られていて、彼が「映画ファン」だといえるのだろうけれども、そうするとわたしにはこのマチューという存在、「観客の代理」としてこの映画の中に入り込んでしまった存在、なのではないかとも考えるのだった。

 この映画の音楽はクラフトワークではなくて(しつこい)、歌劇「ラ・トラヴィアータ」が使われていたのだけれども、「ラ・トラヴィアータ」の主役は娼婦で、タイトルも「道を踏み外した女」という意味だというから、それはこの映画のエヴァ(マリー=フランス・ピジェ)に捧げられたものではないか、とは思う。
 また、音楽の流れない場面でも「街のノイズ」や「物音」などが増幅されて大きく聴こえていて、そういうところは明らかに、意識的にやっているのだろうと思えた。