ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-11-20(Sat)

 昨日の「月蝕」の写真が、もう少し残っていた。見晴らしがいちばんいい歩道橋の上まで行かないで、ウチのすぐ前に出て撮影したもので、もうこの時刻には月も高い位置に上がっていたのでわざわざ歩道橋にまで行くこともない。
 最初の写真の撮影時間は18時半ぐらいで、もう18時の「蝕」のピークの時間を越え、これからどんどん明るい部分が大きくなっていくのだけれども、まだまだほとんどが「陰」。というか、手前に薄い雲もあって、月の陰の部分はすっかり黒くつぶれてしまい、判別はできない。

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 次の写真は19時ぐらいの撮影だけれども、薄い雲がかぶっているのがよくわかると思う。このあとはさらに雲が濃くなって、うまく撮影も出来なくなった。

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 今日土曜日は、朝からすっかり晴天になってしまったようだったが、いつもの土曜日のようにわたしは一歩も外には出ないで過ごした。
 今日もまた最近のようにCDを聴くのだったが、今日はリヴィングのオーディオ・コンポのCDプレイヤーの調子が悪くなってあせった。CDを放り込んでも読み込むのに時間がかかり、けっきょく「CD NO DISC」などという表示が出てしまう。これは困った。最悪、ノートパソコンにつなぐDVDプレイヤーを使えば聴けないこともないが。
 だいたい、こういう電気製品が調子が悪いときにはどついてやればいいというのが古くからの人々の伝統的な対処法で、わたしも「仕事をしないでなまけようとする」コンポをガンガンとどついてやった。するとそこでコンポも覚醒したのか、みごとにCDを読み取って聴けるようになったのであった。

 あとはまた、少しずつ読んでいる『鳥の生活』を読み継ぐ。今は「なぜ鳥は群れるのか?」ということの解明、そして「渡り鳥」のことなど。
 「群れる鳥」として、日本では市街地で群れるムクドリがいつも問題になるけれども、ヨーロッパや北アメリカでは同種の「ホシムクドリ」というのが、日本でのムクドリ以上に問題になっているみたいだ(この本が30年近く前のものなので、今はどうなってるかわからないが)。やってることは日本のムクドリと同じみたいだけれども、その数がとてつもなく多い。北アメリカには推定2億羽が棲息しているというが、そもそもアメリカでのホシムクドリは、「心得違いをした」ナチュラリストがニューヨークのセントラルパークで100羽のホシムクドリを放った、その子孫なのだという。まあアメリカは何億羽もいたリョコウバトを滅亡させた前科があるけれども、その罪滅ぼしのつもりだったのか? いやそんなことはないだろうが。
 これが「ホシムクドリ」。日本の「ムクドリ」に似ているが、たしかに「星模様」がある。

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 夕方、窓の外をみると晴れた日暮れ時の空、真向いの家の真上にひとつだけ、明るくシリウスの星が輝いていた。
 「撮影できるだろうか」と窓を開け、カメラを向けて撮ってみたが、そのときにそれまで和室にいたニェネントがやって来て、窓の外に跳び出てしまった。おっとびっくり。もう外は薄暮で暗くなってきているし、妙なところに行ってしまったら戻って来なくなってしまうかとあせる。
 ニェネントは窓の前でぐるっと歩き回り、そのあとは遠くには行かないでうろちょろしている。ニェネントも「暗くなってから外を出歩いてはいけません!」という、誰かからの教えを守っているのだろうか。
 こういうときは、わたしが玄関の方から外に出て、ぐるっと窓から離れたところからニェネントを追えば、ニェネントは自分から部屋の中に戻るはず。そう思って玄関から外に出てみると、もうそのときにはニェネントは部屋の中に戻っていたのだった。ちょっとひんやりとした。
 そういうわけで、そのとき撮影した「シリウス」。ちょっとカメラが動いて星の光が伸びてしまったが。

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