夜わたしがベッドで寝るとき、ニェネントくんはずっと、わたしが寝ているベッドの下で横になっている。ベッドの上でわたしと並んで寝ることはないけれども(もっと寒い冬になるとそういうこともあるけれども)、とにかくは「できるだけわたしの近くに」いてくれるのである。
昨夜はそんな、わたしの下で寝ているニェネントくんを抱き上げて、わたしの胸の上に乗っけてやってかまってみた。そ~んなに嫌がるわけではなく、従順に「なされるがまま」という感じではある。ほんとうのところは、いつもこうやってわたしの胸の上とかにおさまっていたいのかもしれない。というか、わたしはいつもこうやって、ニェネントくんをわたしのそばに置いておきたい。
それでこのところ、わたしは充分にたっぷりと睡眠を取っていると思うのだけれども、今日は昼間から眠くて眠くて仕方がなかった。電車の中で本を読んでいてもいつしか「こっくりこっくり」してしまい、読んでいる本を取り落としそうになってしまったりする。
今読んでいるのは今村夏子の『とんこつQ&A』で、読んでいる本が「面白くない」などというわけはないのだが、眠い。
では今夜は早くに寝ようかと、スケジュールを早送りして夕食は6時前にすませ、7時前にはベッドにもぐり込んでしまった。窓の外はまだぼんやりと明るい時間だ。
さすがにしばらくは眠りにつくことは出来なかったけれども、それでもそのうちに(おそらくは8時前には)眠ってしまった。
それが、夜中に不気味な夢をみて目が覚めた。イメージとして非常に気色の悪い夢だったのだが、目覚めたときに思ったのは、その夢がこの9月のわたしの「よろしくない精神状態」の「具現化」ではないか、ということだった。今でも、その夢でみたイメージ映像をヴィジュアル的にも思い出すと気分が悪くなるのだが、さすがに、ここにその映像を詳細に書いておこうとは思わない(そんな筆力の持ち合わせもないし)。
ただ、「こういうところにわたしの今の<不健康さ>があらわれているのか」という感じもあり、わたしがそのイメージと向き合って直視したというのは、それが「無意識のわたし」の望むところだったのか、という考えは持った。
ジクムント・フロイトに言わせれば「夢は欲望の形象化」というが、わたしはナボコフの愛読者でもあるから、フロイトの言うことなど基本、信頼してはいない。
この夜わたしが見た夢などは、いかにも「悪夢」らしくも「Weird and Obscure(奇妙で曖昧)」なのだが、その奥には「わたしの欲望」などとは無関係(逆向き)に、「危険信号」を点滅させているのではないかと思える。この先を考えるのが、今のわたしの「課題」だろうか。
先週の連休に天候は乱れたあと、連休が明けてからは好天がつづいている。早朝にわたしが家を出るときにはちょびっと肌寒いが、仕事を終えて帰路に着く「昼間」には適度な「暖かさ」になる。
今朝も、わたしの職場のそばの芝生には、ムクドリとスズメとが群れていたのだけれども、この朝ははっきりとムクドリとスズメとの「棲み分け」が出来ていて、先日のような「共存」という姿ではなかった。
仕事の帰り、ウチの近くの公園のところで、トンボの姿を見た。羽根の先が濃く色づいていて、これは「ノシメトンボ」というアカネ属(アカトンボ)の仲間らしい。珍しくそれなりにうまく撮影出来た気がするが(そうでもないか)、やはりもう、季節はすっかり「秋」だ。