ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-01-21(Thu)

 ニェネントは、今買っている「ネコ缶」を、いつも残さずにいっぱい食べてくれてうれしい。いろいろなネコ缶に買い替えたりもしたけれども、ニェネントのお口に合わないとかなりの量を食べ残したりするので、「こりゃダメだな」とか思い、別のネコ缶にチェンジすることになる。
 実は今のネコ缶は、北のスーパーで売られているそのスーパーのブランドの製品で、どこのどんなネコ缶よりも相当に安いのだ。別に「安い」からという理由でこのネコ缶を選んだわけではなく、「ニェネントくんは<ゼリー仕立て>のネコ缶が好きだよな」ということで、いろんな<ゼリー仕立て>のネコ缶(そ~んなに幾種類もあるわけではない)を買ってあげた中で、今の(いちばん安い)ネコ缶がいちばん気に入っているようなのだ。
 まあ缶の外に書かれている「原材料」をみると、「増粘多糖類」とか「調味料(無機塩)」とか、「それは何?」という添加物も含まれているようだけれども、「ゼリー」はネコの水分補給に役立つし、ちゃんとした健康的な栄養分は朝食の「カリカリ」で補ってくれるだろうと、「とにかくは美味しく食べてくれることがいちばん!」と、買いつづけているわけだ。
 でもなんか、「いっちばん安いネコ缶」を与えているのもニェネントくんに悪い気もして、「ちゅーる」をトッピングしたり、今はネコ用の「カニ風味かまぼこスライス」というのを乗っけてあげている。とにかくは、いつまでも元気で健康でいてほしい。

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 わたしはと言えば、「肉」が食べたい。このところずっと、駅のそばの小さなスーパーが、すぐに肉のパックを<半額>に値下げしてくれるので、いつもそんな<半額>狙いで鶏肉も豚肉も牛肉も買いつづけていたのだけれども(買って帰ればすぐに「冷凍保存」するから、「消費期限」というのはわたしには問題にならない)、どうも最近、そういう賞味期限に迫る「売れ残り」を減らそうとしているのだろうか、そういう<半額>とされる肉のパックがなくなってしまった。
 おかげで、わが家のストックから、最近は鶏肉と豚肉のストックがひっ迫して来てしまった。しょうがないから鶏肉とかは別のスーパーで普通価格で買ったりもしたけれども、昨日その「駅のそばのスーパー」に立ち寄ったら、まだ値引きはされてはいないけれども、ずいぶんとたくさんの肉のパッケージが並んでいたのを見て、「おお、コレは明日あたり<半額>にされるパックもあるのではないか?」と予測するのである。
 それで今日、仕事の帰りに寄ってみると、「予測」通りにいろいろな肉のパックが<半額>になっていた。残念ながら(今いちばん欲しい)「豚肉」のパックはなかったけれども、「鶏肉」と「ひき肉」のパックを買って帰り、ストックした。これからはしばらく、「鶏肉」に活躍していただこう。
 昨日今日と、「何とか<肉>を使わずに献立を考えよう」と、厚揚げを炒めてたまごともやしと絡めて「ちゃっちゃっ」との手料理。経済的ではある。

 今日は、ドイツのメルケル首相が「買い物や公共交通機関利用のときには、<布マスク>の使用を認めず、医療用の<不織布マスク>の着用を義務づけることになる」との報道を読んだ。
 どうもこのところそういう空気は感じていて、近い将来に<布マスク>NGということになるのではないかと思ってもいたのだけれども、海外ではそれが現実のことになるようだ。
 つまり、わたしはこのところファッション的に<布マスク>を収集し、通勤にも日替わりで異なる柄の<布マスク>とか着用していたのだけれども(勤務中は<不織布マスク>につけ替えている)、これからは日本でも、布マスクで電車とか乗っていたら、誰かに「おまえ、ソレは<布マスク>だろうが!」と、排撃される可能性も出てくるということだ。
 別にわたしは世の中が「<布マスク>ダメね」となったときに<布マスク>に執着するつもりはなく、そうなったら<不織布マスク>に乗り換えるつもりだけれども、まあね、せっかく買い集めた<布マスク>が着用出来なくなってしまうというのは、ちょっと残念な思いがする。
 マスク関係では、去年航空機内で乗務員からの「マスクの着用をお願いします」との声を無視して飛行機を緊急着陸させ、逮捕された男のことがあったが、実はその男は普段はマスクを着用していたのだという報道が昨日だかにあった。
 もうひとつ、面白かったのが(面白がってはいけないのだろうが)、先日の「大学入試共通テスト」で、「鼻マスク」(つまり、マスクをずらして鼻の穴を露出させるかけ方)を注意されて六度も従わなかった男が「失格」宣告されたあとにトイレの個室にたてこもり、何時間かあとについに逮捕されたなどというニュースもあった。
 その男は(実は49歳だったというけれども、とりあえずはそのことは無関係として)、「マスクを鼻までかけるとメガネが曇って外が見えなくなるのだ」と言い訳したらしいが、まあどういう視力障害があってメガネをかけていたのかわからないけれども、普通に「近視」(視力0.1程度)ということでメガネかけてたのなら、逆に配布された試験問題のプリントを読むのには、メガネを外しても充分に対応できるはずである(わたしも視力0.1だが、見えないのは遠くの方だけで、例えば手元の本などを読むにはメガネなしの方がちゃんと読める)。もしもそれ以上の視力障害が彼にあったのなら、それは普段から「コンタクトレンズ」を使用するレベルではないだろうか。まあ報道に目を通しても、彼は「今のCOVID-19禍にマスクはいらない」という主張をしたくって、そういう行為を行ったのだろうと思わざるを得ない。雑魚ではある(というか、わたしもメガネをかけていて、そういうマスク着用でのメガネの「曇り」には悩まされたのだけれども、今は「レンズ曇り防止」のスプレー、クリーナーを併用していて、そういう「不具合」からは解放されている。「雑魚」はそういう、「どうすればいい?」ということを学習しろよ!とは言いたい。まあ、そういうことをしようとは思っていないのだろうが)。

 さて、注文してあった『世界動物発見史』の著者による、『物語 世界動物史』が到着した。梱包を解いてページをめくる。
 わたしはこの本は当然、『世界動物発見史』の著者(ヘルベルト・ヴェント)が、別のアプローチから「動物の世界」のことを書いた本だと思っていたのだが‥‥
 あれ? なんか、『世界動物発見史』に掲載されていたのと同じ図版ばかりが目につく。ペラッと読んでみると、あららら、「その文章、読んだよ」というものである。これはつまり、タイトルこそ異なれども、まったく同一の書物ではないか! まいったな!
 で、改めて『世界動物発見史』の表紙をよく見てみると、そこにはなんと、「【物語 世界動物史】改題」ということがしっかりと書かれていた。
 つまり、まずは『物語 世界動物史』(上・下巻の2巻本)が1974年に刊行され、それから14年を経て、同じ出版社が『物語 世界動物史』の2冊を合本して、そのタイトルも『世界動物発見史』として再刊したということだったのだ。これはやられた。わたしの負けだ。無念である。
 まあまだそれほど高価な本ではなかったからよかったが(というか、本の価格よりも配達料の方が高い)、良く考えれば分厚い『世界動物発見史』が2分冊に分割されたということで、この厚さならば持ち運んで電車の中でも読める。つまり分厚い『世界動物発見史』は「愛蔵版」ということで、今回買ってしまった『物語 世界動物史』の2冊は「普及版」だと考えればいいのだ。それだけの「面白さ」を持つ、わたしには「格別」の本だから、これはこれでいいのだろう。

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