ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-01-22(Fri)

 今日は青空が見えて、仕事を終えて帰るときはけっこう陽射しが暖かい。自宅駅から歩いていて空を見上げると、久しぶりに雲が浮かんでいるのが見えた。このところはずっと、晴れていると雲ひとつない青い空か、そうでなければ空全体がどんよりと灰色の雲に覆われているかのどちらかで、空の写真を撮ってもつまらない。こうやって青い空をバックに白い雲が浮かんでいるのを写真に撮れるのは、雲の写真を撮るのが好きなわたしとしてはちょっとばかしうれしいのだった。

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 某ゆうちょ銀行のATMカードが、財布の中で他のカード類と重なって折れて割れてしまい、それでも何とか使えていたのが、ついに先日から使えなくなってしまった。郵便局に申請すれば再発行されるので(もちろんいくばくかの手数料を取られるが)、今日は郵便局に申請に行った。
 どこの郵便局に行ってもいいのだけれども、そんなときに、その郵便局それぞれの「雰囲気」ということを考えてしまう。わたしがこの地で普段使う郵便局は二ヶ所なのだけれども、例えば、いわゆるシール式の特殊デザインの切手を買おうとするとき、一方の郵便局は局員の方が「こ~んなのもありますよ!」と明るく勧めてくれるのだけれども、一方の郵便局はわたしのことなど放置状態でサンプルを見せるだけで、「早く決めたら?」という感じでめっちゃ素っ気ない。切手を買うときに限らず、窓口に用事があって応対を求める場合も、その「明るい」郵便局ならわたしも軽いジョークを言って、局員さんも反応してくれるのだけれども、もう一方で同じようにジョークを言ってみたら何の反応もなく、寒い思いをしたものだった。
 どうもそういうのはその郵便局ごとが長年やってきた(育ててきた)「空気感」みたいなもので、「明るい」郵便局は、おそらくはその局内の局員どうしの関係もきっと「明るい」ものなんだろうなと思う。そういうことは郵便局を訪れる利用客にも伝わるものだ。
 だから今日も、その「明るい」郵便局の方に行って申請手続きしたのだけれども、わたしも窓口で軽口を叩いて、局員さんの対応もイイ感じだ。気もちよく申請手続きをして、気もちよく郵便局を出ることができた。こんなことでも、その日いちにちが明るくなったりもする。

 それはいいのだが、このところのわたしの生活は、ただ「仕事に行く」「買い物をする」「本を読む」ということだけに集約される気がする。あと、「パソコンをいじる」かな? もちろん、その他に「睡眠をとる」「食事をする」ということもあるけれども、それは言ってみれば「生命維持」のための「動物的」な行為だから、「生活」としてどうのこうのと語るようなことでもない。まあ「今日は〇〇をつくって食べた」ということには、一種人間の文化的行為といえるところもあるのか。
 とにかく外(繁華街)を出歩かなくなり、劇場や映画館、美術館などに行かなくなってしまい、わたしは今では<緊急事態宣言>下のステイホーム生活の優等生であろう。しかし、家でも映画など観なくなってしまって、ただ精神生活としては痩せ細って寂しい気はする。もうちょっと家で映画を観る努力とかしようかと思う。あと、すっかり音楽を聴かなくなってしまったのも、よろしくないと感じている。このことも何とかして、もっと音楽にあふれた生活を送りたい。

 昨日から、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読み始めた。それでわたしはジェイムズ・ジョイスのことをまるっきし知らないので、今日は彼の伝記的なことを調べてみた。‥‥まあ、なんと「波瀾万丈」の生をおくられた方だったのだろう。しかも彼が命を失ったのは、「十二指腸潰瘍穿孔」のためだったという。わたしもやはり「十二指腸潰瘍穿孔」を患ったことがあるけれども、あれはおそらくは「世界でいちばん痛い病気」ではないかと思う(後日、病院で自分の病歴を語ったとき、「十二指腸潰瘍穿孔をやられたのですか!」と、いくぶん尊敬の混じったような視線を向けられたこともあるのだ)。わたしはけっこう大きな手術をやって生き残ったけれども、同じ「十二指腸潰瘍穿孔」を患って亡くなられたというジョイスという人物への大きなシンパシーを感じ、彼のおくった人生というのも興味深いし、彼の「伝記」を探して、読んでみたいとも思うのだった(ところで、わたしの今までの生活を振り返っても、それはどうやら「波瀾万丈」の生き方だったらしい。以前人に話したら、「それはまさに波乱万丈だね」とは言われたものだったが)。

 今日は報道で、イギリスの「タイムズ」紙がその電子版で、「東京オリパラ」について日本政府は非公式に「中止せざるを得ない」と結論づけたということを報じた。
 実は今まで「何があろうとも開催するのだ!」とかたくなに語っていた森組織委員会会長が、昨日になって「3月の聖火リレー前までに開催するか判断する」と語っていたようで、ついに「開催しないこともありうる」みたいなニュアンスに転換してもいたのだ。森ももう、「中止になっても仕方がない」とは腹をくくっているようにも思える。
 政府(官邸)はこの「タイムズ」紙の報道を否定しているけれども、実は国内でも「無観客」でやるべきでは、との声も聞かれるようになるし、日本医師会の中川会長は「オリパラ開催で来日する外国人を受け入れ可能かというと、可能ではない」との見解を示している。
 まあ当たり前の話として、この夏に「東京オリパラ」が開催される可能性などないわけだけれども、今でも国会などで「人類がコロナに打ち勝った証として開催するのだ」と語りつづけるスカ首相は、ただ世界及び日本の人々に「彼はあまりに大きな錯誤を犯した」との印象を与えるだけであり、世界からの信頼は失うだろうし、国内でもさらに支持率の下落に結びつくだけであろう。
 これも、「このような方策で進めばオリパラの開催は可能だ」という「具体策」の提示がまったくなかったという結果であり、「指導力のまったくの欠如」と言われて当然のことだろう。
 彼も「ごめんなさい、総理大臣という職はわたしの遂行できる職ではありませんでした!」とか言って、さっさと政治職から身を引いて田舎に引きこもった方がいいと思う。