ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-11-19(Thu)

 リヴィングの窓が、薄く開いていた。どうやらわたしが窓の鍵をかけ忘れていたようなのだが、窓が開いているとニェネントが出て行ってしまうし、わたしはぜったいに窓を開けておいたりはしない。どうも、ニェネントが自分で窓を開けてしまったようだ(鍵さえかかっていなければ、ニェネントが前足の力で窓を開けられるということは知っている)。じっさい、ちょうどニェネントがすり抜けられるぐらいのすき間が開いていた。
 これはどうも、わたしが仕事に出ているあいだにニェネントが自分で窓を開け、(おそらく)外に出てアバンチュール(どんな「アバンチュール」だったかは知らないが)を楽しみ、そのあと「やっぱりウチがいい」と思ったのか、部屋に戻ってきたのだろう。これがわたしが「虐待飼主」だったり、ニェネントがこのウチを気に入っていなかったりしたら、そのまんま戻って来なかったところかもしれない。ちょっとばかり、冷や汗をかく思いがした。

 このあいだ、いつも飼いネコの行動ばかりを解説しているネット記事を読んでいて、その回は「ネコが『家族』と認めた人にだけするしぐさや行動」というコラムだったのだけれども、そこに挙げられていた飼いネコの飼い主に対する「5つの行動」とは、
 1.舐める
 2.近くで寝る
 3.無遠慮に乗ってくる
 4.ご飯を手から食べる
 5.しっぽをピンと立てる
 という5つだった。わたしはニェネントに手ずから食べ物を与えたことがないので「4」はわからないし、まあニェネントがわたしに「無遠慮に乗ってくる」のは、わたしが寝ているときだけなので、「3」もたしかにはそうと言えないところもあるけれども、あとはまるっきりOKだ。まあ前からニェネントはわたしのことを「ただバカでかいネコ」とは思ってる気配は感じていたけれども、「家族だね~」とは思ってくれているのだろう(知ってたけどね)。

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 今日もまた気温が上がった。テレビを見ると今日の最高気温は24.9度になったと言っていた。わたしは朝はジャケットを着て家を出たけれども、帰宅するときはジャケットを脱いで、アンダーとその上のシャツだけでちょうどいい感じだった。
 昨日までは昼間はすっかり快晴で、空に雲など見られなかったのだけれども、今日の昼には久しぶりに青空をバックに空に浮かぶ雲の姿が見られた。なんだか最近は、空に雲が浮かんでいると写真を撮りたい人間になってしまっているので、うれしいことではある。

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 仕事の帰り、もうウチに米がなくなってきたので、途中駅で下車して駅前のスーパーで「白米」を買う。そのスーパーの「10パーセント割引券」を持っているのだ。さすがに5キロの白米をぶら下げて帰るのは「ひと仕事」で、ジャケットを脱いでいても汗ばんでしまった。
 帰宅してちょっとチェックしてみたのだけれども、つまりわたしは5月以降、45日か50日ごとに白米を5キロ買っていることがわかった。途中で「焼きそば」とか「スパゲッティ」、「インスタントラーメン」や「アルファ米」などをはさみながらの消費傾向で、ずっと「白米」だけでやっていたら一ヶ月に5キロの消費では足りないかもしれない。まあ次に米を買わなければならないのは、ちょうど「年末年始どき」だということがわかった(そのときまで生きていればね)。

 帰宅したあと昼食のあと風呂を沸かして入り、そのあと内科クリニックへ「定期検診(実質は処方箋をもらうだけ)」に出向いた。夏のあいだはCOVID-19禍でクリニックも閑散としていたのだけれども、それが今はロビーも混み合っている。「新規感染者」が増大していることなど関係ないようだ。というか、インフルエンザの流行の季節でもあるし、しょうがないのか。

 クリニックへの道すがら、面白い午後の空の雲が見ることができた。

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 診察を終えて帰るときはほとんど夕暮れ時に近く、またいろいろな雲が見ることができた。

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 帰宅すると、今日のCOVID-19新規感染者数は、東京でついに500人を越えたという報道だった。
 菅首相は、対策も何もへったくれもなく、ただ国民に「静かなマスク会食」をと呼びかけるだけで、「自分もやります」と言ったということ。つまりこれは「Go To トラベル」「Go To イート」をどこまでも継続する、ということで言っているのだろうけれども、つまり「旅行」はせっせとやるように、ただし食事のときはマスクをかけたままで静かにやるのだ、ということだろう。これはつまりCOVID-19感染の原因は「会食」にこそあるのだ、と言っているようなものだけれども、「Go To トラベル」「Go To イート」には、他にもCOVID-19感染の原因となることがらが山ほどあふれているのではないだろうか。たとえば、自分の手がどんなものに触れてしまうのかということもあるし、人混みの中では衣服全体がウィルスを被ってしまうだろう。そういったことをどうするのか。単に「食事」だけのもんだいではないだろう。じっさい、最近の感染者の感染理由には「不明」というのが半数以上を占めている。
 もしもほんとうにCOVID-19感染を抑えようとするならば、まずは感染者の感染原因をしっかり究明する必要があるだろう。その上で、政府として対策を打ち出すべきなのだ。「静かなマスク会食」などというのは、これは「政府の対策」などとは言えるものではない。

 夕方には東京都の小池都知事が会見を開き、「五つの<小>」などということを言い出した。これもまた「会食」に関してのことで、笑ってしまうのだが、つまり極力「少人数」で、「小一時間」、「小声」に抑え、料理は「小皿」に取り、「小まめ」にマスクをしよう、ということなのだ。
 なんか、人間をバカにしてるんじゃないだろうかと思うしかない。というか、そこまでして「Go To トラベル」「Go To イート」を継続しなければならないのか。そこまで神経を使って「会食」しなければならないのなら、「じゃあみんな解散して、それぞれ一人で食事いたしましょう」という方がよっぽど楽なのではないのか。だいたい、春に言っていた「ソーシャル・ディスタンス」ということを、今になってもう誰も言わないというのはどういうことなんだろう。
 わたしは今でもエスカレーターとか乗るときに「前後に人がぎっしり」という状態は避けるようにしているのだけれども、このところずっと、前後の人との間隔を取らないで乗る人ばかりなので、もう(よほど空いているとき以外は)エスカレーターを利用することはやめている。今はエレヴェーターも使わないので、もう階段を使っての「足の運動」ばっかり。
 というか、そんなこと言いながらも、わたしも明日は「プチGo To トラベル」をやらかしてしまうわけだ。「大きなことも言えないな」とは思う今日この頃ではある。

 夕食に久々に「ポテサラ」をつくった。今日はジャガイモをゆでたあと、しばらくそのまま放置しておいたので柔らかく仕上がり、つなぎにマヨネーズを混ぜることもしなかった。このところの体験から、料理の極意は「放置」にあるのではないかと思ったりする。塩加減もうまく行き、おいしいポテサラになった。

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 夕食のあと、久々に「GYAO!」の映画無料配信でジョン・カーペンター監督の『ザ・ウォード 監禁病棟』を観た。しばらくチェックしないあいだに、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』やボン・ジュノ監督の『グエムル 漢江の怪物』、そしてケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの作品が「無料配信リスト」に加わっていた。これからの連休には、家でこれらの映画を楽しもうと思う。