ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-04-15(Wed)

 寝ていて首が苦しくて目が覚めた。目を開けると、目の前にニェネントのしっぽがあった。ニェネントがわたしの胸に前足を乗せ、後ろ足がわたしの首に乗っかっていたのだ。重たくて苦しい。わたしはニェネントを払いのけるなどということはやらない、できないので、ニェネントがどいてくれるまでしばらくそのまま待っていたのだが、なかなかよそへ行ってくれない。苦しい。時計を見ると3時ちょっと前だった。昨夜は寝るのが早かったことだし、「もう起きてしまおう」と体を起こすと、ニェネントも自然と下りていった。最初から普通にこうやればよかったのだ。
 FMをつけると、古い古い歌謡曲を、ず~っとオンエアしている。聴いていて変な気分になるのだが、何が「変な気分」なのか、そんな古い歌謡曲の中に、わたしが幼い頃によく聴いた曲が含まれているからだろうか。

 今日はStay Home9日目。今朝の体温は36.0度。ネットとか閲覧しているとニェネントの朝食の時間になったので、ニェネントに朝食を出し、わたしもいっしょに朝食にする。ニェネントには昨日買った「カツオのたたき」も出してあげたのだけれども、食べ残す。前にもカツオのたたきを食べなかったことがあったけれども、以前はいつも全部食べてくれたカツオのたたき、今はなぜか嫌いになってしまったのだろうか。

 「緊急事態宣言」発令から一週間が経過したけれども、状況は悪化こそすれ、好転しているとは誰にも言えないだろう。安倍首相はCOVID-19の感染拡大を防ぐ対策で、「ここ1、2週間が極めて重要」と語っていたのだが、安倍首相自身は家の中で犬と遊ぶ動画をアップするなど、緊張感を持って事態に対処しているとはとてもいえない。このまま事態が来週になっても好転しなければ、「緊急事態宣言」はおそらく5月いっぱいは継続されるだろう。6月いっぱいになる可能性も高い。そして、東京はロックダウンされることだろう。
 ロックダウンされても食品の買い出しは禁止されないわけだし、わたしはそれほど怖れているわけではない(もちろん、「いつになったら感染拡大は収まるのだ」という不安はあるが)。

 そのことで今怖れるのは、すでに現在あらわになっているらしい、人々のセルフィッシュな行為だ。ひとつには「買占め」という問題があって、今でも一部の人たちの買占めによって、マスクは店頭に並ばない。買占めをする人たちは、自分が必要以上にマスクを買うことで、ほんとうに必要としている人たちの手にマスクが渡らないことを想像しない、考えない。
 ここに、マスクが店頭に出される朝の開店時の混雑ということがあるようで、昨日行ったドラッグストアでは、「マスクを買い求める人の混雑のため<3密>をクリアできないので、マスクの取り扱いを中止することにしました」との告知がされていた。どうせわたしなどが買いに行く時間には売り切れているわけだし、これはいい判断だと思う。
 その<3密>の問題だけれども、特に他者との距離の取り方について、「ソーシャル・ディスタンス」という言い方で「他者との距離を2メートルは取りましょう」ということをテレビでもさかんに伝えている。わたしもそのことには気を配って行動しているのだが、スーパーに行っても、まったく気にしていないような人が多い。今はスーパーの店内がいちばんの人の密集場所ではないかと思うのだが、レジ待ちに前の人との間隔を取って並んでも、あとの人が間隔を詰めてくる。
 それと、やはり今さかんに言われていることだが、家族全員でスーパーに来るとか、不要な人までが来て混雑に拍車をかける。わたしが昨日スーパーでみたところでは、夫婦で子どもを連れてきているケースが何組もあり、リクリエーションのつもりなのかと思ってしまう。子どもは家でお父さんが面倒をみて、お母さんだけで買い物に来ればいいじゃないかと思う。そして年配の方もやはり夫婦でスーパーに来る。「普段家にこもっているのなら、いちばんの感染の危険はスーパーなどの店舗の中だ」とは思わないのだろうか。マスクさえしていればOKと思っているのか。「外出自粛」の呼びかけは、まったく無視されている。もしもスーパーが感染の中心地になって閉鎖されたらどうするのか。

 それ以外にも、お客さんによるスーパーのレジ係の方への恫喝だとかあるし、配送業、医療関係者などの業種の方への極端な忌避など、まだまだ書きたいこともあるけれども、とにかくは「ロックダウン」が決定、発表されれば、また「買いだめ」「買い占め」が横行して、スーパーやドラッグストアはえらいことになってしまうだろう。このことはメディアがきちんと広布しなければならないと思うけれども、「買いだめ」「買い占め」をする人は、そういうことにはおかまいなしなんだろう。まあわたしはそんな時期には買い物に行かなければいいだけの話ではあるが。

 わたしの持っている定期券が今日で期限が切れる。この定期券の有効期間1ヶ月のあいだ、利用したのはわずかに5日だけにすぎない。大損である。それで、最後にその定期券を活用しようと思った。ウチの駅から2つ先の駅の前に、いろいろと安い品を売るスーパーがあるので、まさに「不要不急」のことであって人のことは言えないのだが、買いたいものもあるので行ってみることにした。

 駅までの道には桜の木が境内に生えた神社があるのだが、もうすっかり桜の花は散ってしまっていた。先日の強風もあったしな。

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 駅に到着。昼前の時間で、電車はガラ空きである(というか、隣の駅が始発駅だから、いつもたいていはガラ空きなのだ)。
 到着したスーパーは、ウチの近くのスーパーのようには家族で来ている客は少ないようだったけれども、それなりに混み合っていた。このスーパーは木曜日は全品1割引きのセールを毎週やっていたのだけれども、混雑を呼ぶのでそういうセールは中止するとの告知があった。

 マヨネーズとかフランクフルト・ソーセージとか、買いたいものを買って駅に戻るのだけれども、改札に行くエスカレーターで、人がどんどんわたしの後ろに間隔をつめて乗って来て、「堪忍して下さいよ」と思った。ここでついつい、Policeの「高校教師」(原題:"Don't Stand So Close To Me")を思い浮かべてしまった。Policeが好きなわけではないし、あまりに古いぞ!
 しかし、「ソーシャル・ディスタンス」ということはまるで守られていないなあ。今度電車を使うときとかは、エスカレーターは使わずに階段を使おうと思った。

 帰宅して、どこまで効果があるかはわからないけれども、玄関口で着ていた服を脱いで用意しておいたゴミ袋に入れ、そばに置いておいた着替えに着替えた。ゴミ袋に入れた外で着ていた服はすぐに洗濯して干す。気休めかもしれないが、来週の月曜日にも出かけるので、そのときもまたやろう。

 今日はウィリアム・クラインがパリの五月革命を撮ったドキュメント、『革命の夜、いつもの朝』を観た。映画を一本観たからあとは今は読書に専念したいのだが、なぜか読み進められず、すぐに他のことを始めてしまう。このこと(本を読むことに集中できないこと)は、これからの大きな課題だと思う。
 夕食は昨日の残りのダイコンとジャガイモばかりのおでん。今朝の起床が早かったので早くに眠くなり、ベッドに行って本を読む。もちろんニェネントがやって来て、遊ぶ。一日の終わりの日課である。