ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『運び屋』クリント・イーストウッド:監督・主演

 クリント・イーストウッドが『グラン・トリノ』以来10年ぶりに、自ら監督した映画に主演した。映画撮影当時87歳? それでこの作品自体「老い」ということが一つのテーマでもあるのだけれども、そこはイーストウッド、「まだまだヤレるぜ!」みたいな姿も見せて笑わせてくれる。そう、映画はクライム・サスペンスだけれどもイーストウッドらしい(?)ほんわりとしたユーモアに包まれていて、そこに家族の話も盛り込まれ、「サスペンス」と「ヒューマニティ」との、見事な調和があった、とは思う。

 主人公のアール・ストーンは有能な園芸家で、「デイリリー」というユリの栽培で名をはせていたようなのだが、家族を放置して一人での農園の経営が破綻して、農園は差し押さえされて金銭的に困窮する。それでもこのアールという人物はポジティヴというか、落ち込んだ風でもなく、ある会合でとなりの男に「オレは今までン十年、車の運転では<無事故・無違反>を通しているよ」と話すのだが、話を聞いている男は実は<麻薬シンジケート>の人間で、麻薬を怪しまれずに安全に運ぶ「運び屋」に、アールこそぴったりなのではないかと思うわけね。このあたりの展開が楽しい。
 それでつまり、アールは「荷物を運んでくれれば金になる」との誘い言葉に乗り、メキシコからの麻薬を自分の車で運ぶことになる。それがすっげえ金になることにおどろくアールだけれども、そのうちに自分が運んでいるのが<麻薬>であることを知る。しかしそれでも彼は飄々と「運び屋」を続ける。このあたりの重くならない展開もこの映画のいいところなのだけれども、それでも後に、仲良くなったシンジケートの男に「足を洗え」とアドヴァイスする。
 終盤は、そんなアールを中心に、代替わりして悪辣になったシンジケートと、麻薬取締局との<三角関係>、いや、さらにアールの家族との関係とが、この映画の<豊かさ>となっていたと思う。

 なんか、『グラン・トリノ』でのそういう「サスペンス」と「ヒューマニティ」の融合を思い出させられる映画だと思ったが、それもそのはずというか、この作品の脚本は『グラン・トリノ』で脚本を書いたニック・シェンクによるものだった。