ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-01-29(Tue)

 夢をみた。わたしは野外で見知らぬ男性と対話していて、それはブーメランのようなものを空に飛ばして遊ぶことについて、その遊び方を話していたみたいだった。空はさいしょ澄んだ青空なのだけれども、次には空一面が白い雲におおわれ、わたしの正面で太陽がその白い雲の陰になっていて、四方にその日の光が伸びているのだった。
 ‥‥夢でみる空は広い。これはじっさい、起きているときの眼の視界よりも、夢での視界の方がぜったいに宏大なのだと言い切ることが出来る。特に、左右への視界の広さより、上下の視界の広さは圧倒的で、これは「夢」が現実を超えるところの驚異だと言っていいと思う。
 人の視界というのは、たとえばテレビや映画の画面がそうであるように、かなり横長になっているわけで、横方向は左右二つの眼を合わせて180度見渡せることが出来るらしいのだが、上下方向は150度ぐらいだったかな? とにかくは横方向に比べてかなり狭い視野であることは、誰もが納得してくれると思う。これは左右の眼があってもその視野を上下方向に連結できるわけではないし、そもそもが人の眼とはそのまぶたによって横長に区切られているせいだろうとは思う。おそらくは「夢」の中では、そういうフィジカルな限界が取り除かれ、眼球そのものの機能がフルに活かされるのではないだろうか。このような夢をみることは、「肉体」の限界を越えるところの、実にすばらしい体験ではないかと思う。

 今日は仕事のあと市役所へ行き、次年度の「自立支援医療」の申請をする。これは「精神疾患の通院医療」の公費負担制度によるもので、長期にわたる精神科通院の患者負担を少なくするための制度で、わたしは「側頭葉てんかん」を患っているので、ずっとこの制度のお世話になっている。このことをちょっと書いておけば、昔からこの「側頭葉てんかん」を患っていたわけではなく、この6〜7年前になって、急に発作を起こしたものである。発作を起こすと自分が今どこにいて、何をしようとしているのかわからなくなる。そのため、「車の運転」は止められている。例えば電車に乗っていて発作を起こすと、「なぜ電車に乗っていて、どこに行こうとしているのか」わからなくなってしまい、電車を降りて家に帰ろうとしてしまう。それだけならいいのだけれども、ヤバいのは、そういう発作を何度も起こしていると過去の記憶を失ってしまうケースもあるということで、わたしはこのケースで、過去10年から20年の記憶を失ってしまっている。特に「エピソード記憶」という、日常生活から離れたところの記憶が主に失われていて、20年ほど前に東欧をあちこち旅して回った記憶はまるで残っていないし、観た映画や舞台、読んだ本などの記憶も消えてしまった。
 通院するようになってからは「テグレトール」という発作を抑える薬(発作を抑えるだけで、「治療薬」ではない)を服用し、もう発作が起きることもまずないのだけれども、失われた記憶はもう二度と戻ってはこない。ただ、同じ「側頭葉てんかん」でも症状(発作の起こし方とか)にはいろいろと差異があるようで、ネットでみても「それはわたしのケースとはまるでちがう」という記述も多いし(これで誤解されることもあり、困るのだ)、例えばドストエフスキーやヴァン・ゴッホも「側頭葉てんかん」だったらしいというのだが、わたしの症状と共通性はないようだ。
 以前、敵対するある人物から「不摂生のために病気になった」みたいな、麻生太郎が言いそうな侮蔑の言葉を浴びたこともあるが、こういう「病気というものは本人の責任」みたいな考えがいかに反動的な差別的なものであるかはいうまでもない。「娼婦遊びがすぎて梅毒に感染した」というものではないし、あのAIDSへの偏見にもつながる、あわれな思考であることは改めて言っておきたい。

 ずいぶんと脱線してしまったが、つまり、その「自立支援医療」の申請に行ったわけである。‥‥ところが、市役所に着いて、今年度の受給者証のつもりで持って来た受給者証を出してみると、それは「今年度」のものではない「昨年度」の証書だった。ミステイク!
 けっきょく、もういちど改めて、また来なくてはならなくなった。けっこう市役所は遠くって大変なのだけれども。

 来るときは我孫子駅前からのバスで来たのだけれども、帰りは駅まで歩くことにして、途中にある家電量販店、それと図書館とに立ち寄ることにした。
 まずは家電量販店に寄り、いまチェックしておきたいプリンターをみて歩いた。やはり「モノクロ」というのはなく、どれも4色カラー。五千円台からあるのだけれども、書いてあるのを読むと、プリント一枚あたりの経費は27円とか書いてある。それは高い。前にみた四千円ぐらいの「モノクロ」のプリンターは経費は4円ぐらいとか書いてあったと思うのだが、あのプリンターは「まぼろし」だったのだろうか。
 プリンターのことは忘れて、ちょっと店の中を歩いて回ってみる。パソコンにつなぐ外付けのスピーカーがあり、みてみると三千円台のモノもある。スピーカーの名門、AT社の製品。ちょっと欲しくなってしまったが、ウチにあるスピーカーが修理できるかどうか確かめてから。

 このあと図書館に行き、借りていた本とCDを返却し(国木田独歩はもうちょっと読みたかったけれども、また次の機会に)、またも「グレの歌」のCDを借りる。今回はエリアフ・インパル指揮のフランクフルト放送交響楽団のもの。あと、高橋源一郎の「今夜はひとりぼっちかい?(日本文学盛衰史戦後文学篇)」、堀江敏幸の美術論集の「仰向けの言葉」とを借りた。

 図書館を出て目の前の手賀沼に行ってみると、沼の手前で男の人が鳥たちにエサをあげているところだった。男の人の足もとにはカモとオオバンとが集まって、「早く食べ物ちょうだいよ〜」と催促している。そのそばの手すりの上にはユリカモメがいて様子をみているのだが、男性がエサを撒くと、そのとたんにユリカモメがエサをかっさらおうと手すりから飛び降り、「キャーキャー」と大騒ぎになる。どうやらユリカモメがいちばん強いようだ。そのすき間からカモやオオバンがくちばしを出し、そんなユリカモメ、カモ、オオバンらが食べ終えると、食べ残しを狙ってハトたちが集まって来るのだった。
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