ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ジュ・テーム、ジュ・テーム』(1968) アラン・レネ:監督(2回目)

  
 前回観たとき、カトリーヌ(オルガ・ジョルジュ=ピコ)と他の女性との区別がわからず、カトリーヌ(オルガ・ジョルジュ=ピコ)であっても「この女性はカトリーヌではない」と思い込んでしまったり、またはカトリーヌ以外の女性もカトリーヌと思って観ていたようであって、まずはそのあたりをしっかりと区別しようということに留意して観ていたつもりなのだが‥‥。
 けっきょくやはり、「ではこの女性は誰?」という思いに振り回された感があった。ただやはり、主人公のクロード(クロード・リッチ)が他の女性にカトリーヌのことを語っている場面が何度かあり、「その相手の女性はカトリーヌではあり得ない」という判断。ではあれはクロードの別の女ともだちなのか、それともクロードの妻なのか。終盤にクロードがカトリーヌではない「わたしの妻」の話をしていたので、やはりクロードは妻帯者で、カトリーヌは愛人なのだろう。
 では、とちゅうで階段のところにいて、「明日の朝、わたしはやはりこの階段のところで寝ているのかもしれない」などと語っていた女性は何者なのか。どう見ても彼女はカトリーヌではなかったが。
 ‥‥などなどと、こうやって2回目に観てもやはり、不明点はあれこれと残るのだ。
 ただ、クロードがさいしょにタイムワープして、そのあと何度もリピートされる海岸の場面は、クロードが「実験」を受ける1年前のことであり、ほんとうはその段階を1分間だけ経て、そのあと「帰還」するはずが、タイムマシンの故障でクロードは「タイムトラヴェル」から抜け出せなくなってしまう。
 観ているとそのあとのクロードのタイムワープは、「実験」を受ける直前の記憶まで含まれたようではある。
 その海岸でのスタート時点ののち、その冬にクロードはカトリーヌとグラスゴーへ行き、そこのホテルの部屋(?)でカトリーヌはガス中毒で死ぬ。クロードはそのとき暖房のガスの火が消えていることを承知していながら、そのときのカトリーヌの微笑んでいるような寝顔があまりに幸福そうなので、そのままにして外出してしまうのだ。

 いろいろこの映画のことを調べていたのだけれども、誰か海外の映画批評家が、「この作品は自分が無人島へ行くとするならば、(DVDを)持って行きたい映画である」などと書いていたと思うが(今探しても見つけられない)、わたしにはその気もちがよくわかる気がする。わたしとて、この映画のDVDがリリースされるものならば、ぜひ手に入れたいものだと思うのだ。

 この映画にあるのは、時間に囚われた人間の物語を、その人物の個人的な「記憶」においてトータルに捉えようとする試みで、映画の冒頭の「実験」を開始するまでと、ラストの何十秒か以外はすべて、主人公クロードの「一人称」、「主観」であると考えられる。もちろん、映画的な制約から「クロードの視覚」から描いているわけではないけれども、まったく「説明的描写」がない、ということはいえる。
 そうするとやはり、観客の側からはその「クロードの1年間」はどのようなものだったのか、ということを再構成したくなる誘惑から逃れられないわけで、それが「無人島で何度でも観返したい」という気もちと結びつくのではないだろうか。

 音楽はほとんど使われていない映画だが、クロードが研究所へ向かう車のシーンで、クシシュトフ・ペンデレツキの音楽を聴くことができる。ペンデレツキの音楽はラストのクレジットでも流れ、「The End」となって画面が暗黒になったあともしばらく聴くことができて、独特の「SF映画」っぽさを醸し出していると思う。ちょっと『2001年宇宙の旅』でのリゲティを想起させられてしまうが、考えてみると『2001年宇宙の旅』も、この映画と同じく1968年の公開なのであった。あと、クロードが自殺しようとする直前にはセロニアス・モンクの「Brilliant Corners」のレコードを聴いているシーンがある(「映画.com」のこの映画のサイトでは「撮影:クシシュトフ・ペンデレツキ」と表記されてしまっている)。