昨日観たブニュエルの『ブルジョワジーの密かな愉しみ』はまだ、「どこまでも食事にありつけないブルジョワたち!」とかの通底するストーリーを読み取れたかとも思うけど、この『自由の幻想』は、もうダメである。元タイトルは「Le Fantôme de la liberté」で、これは(わたしはフランス語はわからないけれども)訳し方によっては「自由の妄想」だとか、「実体のない自由」とかにもなるんじゃないかと。
実は思いっきり「ナンセンス」な、連続性のないコントが連なるような映画だと思うのだけれども、そういう意味でちょっと「モンティ・パイソン」の映画を思い浮かべてしまったりもする。しかし、「モンティ・パイソン」の映画というのが、けっこう「手抜き」出来るところは「手抜き」することからのおかしさであるのに比べ、ここでのブニュエルの演出は「すべてきっちりと」撮られていて、「手抜き」などとはみじんも感じさせられない。それで「おかしみ」も倍加するだろうが。
映画は先に書いたようにナンセンス・コントの連続のようなモノなのだが、そのコントの引継ぎには神経が払われているというか、それまでの登場人物がクロスして他の登場人物と交代し、別のコントへとなだれ込んで行くわけで、それまでのコントの話がいかに「尻切れトンボ」でも、もう顧みられることはなく「次」へと移って行く。
その背後に「何かの意味」を探ろうとしてしまうとそれは観る側の「負け」だろうとは思うが、それでも、冒頭のゴヤの描いたスペイン独立戦争で、フランス兵士に銃殺される反乱者が最後に「自由くたばれ!」と叫ぶことの中に、何らかの意味合いを求めようとはしてしまうだろう。
とにかくここでブニュエルは「権力」というもの、そして「宗教」というものを笑い飛ばしてやろうという気構えで、それは前に観た『ブルジョワジーの密かな愉しみ』でもそうなのだけれども、ここでは観客の頭脳内の権力構造をも笑い飛ばそうとしているようにも思える。おそらくはブニュエルという人、アナーキストなのだろうとは思う。映画人は皆、ジム・ジャームッシュもコーエン兄弟も、エドガー・ライトもみ~んな「アナーキスト」なのである!
さてこの『自由の幻想』、わたしが昨日『ブルジョワジーの密かな愉しみ』を観て「この女優さんはいい!」と注目して調べたミレーナ・ヴコティッチさんという女優が、けっこうコントを連続させる大事な役で登場して下さり、わたしを喜ばせてくれた。やはりブニュエルもこの方を気に入っていたのだな。
この作品、ジャン・クロード・ブリアリもモニカ・ヴィッティも出演、ジャン・ロシュフォールもミシェル・ピコリもアドルフォ・チェリも顔を見せる豪華さなのだけれども、わたしはジャン・クロード・ブリアリが寝ている部屋を横切るニワトリやエミューとか、さいごにミシェル・ピコリとジュリアン・ベルトーが「動物園へ行こう」とか言って出て来るサイやカバ、ゾウとかが好き。ラストに「自由くたばれ!」と叫んだのは、あのダチョウだったのだろうか?(いや、違うだろうけど)
そのちょっと前に、その警視総監のジュリアン・ベルトーがバーで、4年前に亡くなった妹にそっくりの女性に出会う話が、前に観たコーエン兄弟の『シリアスマン』の冒頭の意味不明な挿話を思わせられるところがあって、これも好きだ。