ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『666号室』(1982) ヴィム・ヴェンダース:監督

 この作品は、1982年に開催された「第35回カンヌ国際映画祭」に招かれた映画人らをホテルの666号室に呼び、皆に「映画とは、失われつつある言語で、死にかけている芸術か?」と問いかけて答えてもらい、その姿を記録したもの。

 いちおう、「一人フィルム1巻分の長さ」との制限があるみたいだけれども、見た感じフルに使っているのは冒頭のジャン=リュック・ゴダールだけみたいだし、しかもゴダールは「吹き替え」とかの技術もいっしょに使ってるみたいだ。だから「どうだ」というのではないが、しかしゴダールに対してだけは「問いかけ」の内容が異なるみたいには思うのだけれども、これはゴダールが勝手に「映画とは、失われつつある言語で、死にかけている芸術か?」という問いを「拡大」して答えたものかもしれない。とにかく、ゴダールは映画を「テレビ」と比較し、テレビ向けにつくったような映画が増え、「映画の美学」に代わって「テレビの美学」が求められているのでは?という設問に換えている。ここでゴダールは「テレビの歴史」を考え、すぐに大衆の支持を得たことから、さまざまなことを語るのだけれども、どんな発言も思惟的だと思う。「映画は見えないものを映像にすることが出来る」とも。

 マテリアルの上から行って、アントニオーニが予見したように「磁気テープがフィルムに取って代わった」わけで、その後はマイクロチップに記録されるようになった。アントニオーニは「メンタリティーは時代によって変化する」のだから、未来の人々がどんな映画を求めるかには興味があるという。じっさい、映画の上でさまざまな実験を行って来たアントニオーニならでは言葉だろう。

 一方で、偉そうに足を組んでふんぞり返り「わたしは映画の未来に楽観的だ」と言うスピルバーグは「やはり彼ならそう語るだろう」という感じで、わたしは興味を持てなかった(というか、多少の「反感」も抱いた)。

 ヴェンダースに関しては「まさにこういう作品をつくってしまうのがヴェンダースだなあ」とは思った。1982年にこの作品が撮られて今までの40年間のどこかで、やっぱりある種の映画というのは死んでしまっただろうとは思うが、その「ある種の映画」の中に、ヴェンダースの映画も含まれるような気がしてならない。