昨日の「ふるさと公園」への散歩の帰り道、いつものようにJRの線路を越える跨線橋を渡って帰ったのだけれども、前に書いたその跨線橋の途中に生えていたススキが、この日はすっかり刈り取られてしまっていた。
もちろん、ススキなどというものは雑草の代表格ともいえる植物だろうから、刈り取られるということはごく普通のことではあるだろう。でも先日も書いたように、もうこのあたりにはススキの姿は見られなくなっていて、わたしの知るかぎりではこの跨線橋に生えていたススキが「オンリーワン」だったのではないかと思うのだ。これでこのあたりにはススキの姿もみえなくなったとしても、「いやいやこのあたりはもうずいぶん昔からススキなんて生えていなかったよ」な~んて言われて終わってしまうことになるのだろうか。
それにちょうど思い出したのだが、今日9月17日は「中秋の名月」なのだ。もう今では皆そんなことはやらないだろうけれども、昔は「中秋の名月」といえば室内にススキを飾っていたわけだ。つまり、ススキというのは「尾花(おばな)」とも呼ばれるところの、秋の七草のひとつなのだ。ああ、わたしは昨日跨線橋を渡るときにススキが刈られているのを見たとき、せめてその穂を今日の「中秋の名月」のために持って帰ればよかったのだ。
今日も天気は良く、けっこう気温も上がったようだった。わたしは家から外に出ずに過ごしてしまった。ただ今日は「燃えないゴミ」の収集日で、しかも2週間に一度、ペットボトルや空き瓶、空き缶の収集がある日だ。ウチはニェネントくんのネコ缶の食事で空き缶は毎回5~6個出すことになるし、この頃はペットボトルのアイスコーヒーとかよく買うようになったので、ペットボトルも出す。たまに空き瓶を捨てることもあるが、空き瓶は瓶の色によって捨てる袋が別になる。そしてペットボトルは外側のビニールのラベルとか商品名ははがして、ペットボトルだけにして出すのである。
「ウチの地域の人はよくしっかりと分別して出してるよな」と感心するけれど、地域によってはもっと分別規則のキビシイところもあるみたいだ。それでも先月、おそらくはウチの地域でない人が「地域の分別法」を無視して、空き缶、空き瓶、ペットボトルをごっちゃにして出されていて、「収集できません」のシールが貼られて残されていたのだった。それでその空き瓶、空き缶とかはそのまま収集場所に残されたままで、もう1ヶ月以上置かれっぱなしになっているわけだ。「これじゃあ永遠にココに置かれっぱなしのままになるよな」とは思っていたのだけれども、今日、意を決して、わたしが「いい人」になったことにして、その「空き缶、空き瓶、ペットボトル」のかたまりを一度わたしの部屋のドアの前に運び、キチンと分別して出したのですよ。むむ、これでわたしも「天国」に行けるんじゃないか、とは思うのだが。
今日の報道で、朝日新聞が「安倍氏と旧統一教会とが自民党本部の総裁応接室で面談していた」とするスクープ写真を掲載したことがわかった。これは2013年の参議院選挙の公示の4日前のことで、自民党総裁だった安倍氏が旧統一教会に選挙戦への協力を仰いだものとみられている。写真には安倍元首相の他に安倍氏の弟の岸信夫元防衛相、そして萩生田光一前政調会長の姿も写っているという。
ちょうど今、総裁選挙の真っただ中の自民党。
先に安倍氏が亡くなられて旧統一教会との関係が取り沙汰されたときは、「安倍氏は亡くなられているのだから」と、つまり「旧統一教会との関係は問わない」みたいな判断を岸田総理は下したわけだけれども、今こうやって「安倍氏と旧統一教会がしっかり関係していた」という写真が出て来て、しかも自民党本部の総裁応接室に教会の人間を招いているのだ。これでもなお、「安倍氏と旧統一教会との関係は問わない」と突っぱねるつもりなのだろうか。そして、今回の選挙で選ばれる新しい自民党総裁は、「旧統一教会」との関係をただ「以後一切関係を持たない」とだけにして、過去のことを再調査して明るみに出そうとはしないつもりだろうか。
ネットのSNSなどでは例によって安倍氏を支持する連中やネトウヨ諸氏らが「そんな問題はとっくにかたがついているではないか」などとのたまっておられるのだ。
今日はそんなSNSでのネトウヨ連中というか、ゆがんだ方たちの奇妙な論法のことが書かれていて、つまりそれは日本で性犯罪を犯した外国人男性(西欧人ではなく、アラブ系の人だったと思う)に対してそういう連中は「国外追放!」とか「死刑だ!」とかボロクソ書くわけだが、いざ同じような性犯罪が日本人男性が犯した場合、こんどは被害者の女性に対して「あんたの方に落ち度やスキがあったのではないか?」とか、まるで被害者女性が悪いみたいなことを書かれるらしいのだ。ま、見事な「ダブルスタンダード」というのか。