ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『戒厳令』(1973) 別役実:脚本 吉田喜重:監督

 北一輝を「黒幕」とした、クーデター未遂事件「二・二六事件」をメインとしたドラマ。
 ちょっとこの映画のことから離れるが、つい先日、ドイツで大掛かりなクーデター未遂事件が摘発されたばかりだ。意外なことにこのドイツのクーデター計画はヒトラーの「第三帝国」復興を目指すのではなく、「第二帝国」の再興を目的としていたという。主犯格の「ハインリヒ13世」という人物の思想背景を知りたい気もするが、その背後にはロシアの影もちらつくともいう。

 そのことは置いておいて、とにかくわたしは北一輝という人物のことなどまるで知りはしない。しかし、この映画を観進めて行けば、彼のことを知っていようが知るまいと、あんまり関係ないようにも思える。
 脚本を担当したのは別役実で、このドラマには別役実らしい「不条理」、そして「逆説」に満ち満ちているように思う。
 三国連太郎が演じる北一輝は、「革命家というのは革命を起こす人間のことを言うのではない。革命に堪え得る人間のことを言うのだ」などとも言い、そういう意味では観客をケムに巻く、と言ってもいいと思う。このようなセリフはこの作品中に散見されるが、観終わったあとにネットでかんたんに北一輝の生涯、思想をたどってみると、この映画がそ~んなに無茶をやっているわけでもないことがわかる。じっさいに「二・二六事件」のとき、北一輝はその思想的指導者でありながらも、「事件」自体とは自分は無関係であるとの立場を貫こうとしている。

 この作品でポイントになるのは、唐突に北一輝のそばに近づいて北一輝からクーデターの計画を聞き、そのクーデター計画に参加しようとする一兵士(名前はわからない)の存在がある。この兵士はまずは「五・一五事件」の際、発電所爆破の役目を指示されるのだが、果たせずに逃げ帰ってしまう。
 北一輝邸にやって来るその兵士を、北一輝は追い払うことはないのだが、兵士は「自分は裏切り者だ、スパイだ」と語る。それでも北一輝は彼を厭わないのだが、けっきょく「二・二六事件」のとき、その兵士はじっさいに「スパイ」として憲兵隊に密告する。
 兵士はそのあと、「北一輝はわたしのことをスパイとして排除しようとしないので、じっさいにスパイになってやろうとした」というようなことを語る。これもまさに「別役実的ドラマ」であろうが。

 いろいろなドラマが繰り拡げられ、まあ観返すたびに新しい発見があることだろう。この映画は「一生モノ」である。

 音楽はこの時期の吉田監督作品をずっと担当した一柳慧氏(この方も2ヶ月ほど前にお亡くなりになられた)で、それまでの吉田監督作品でのようなミュージック・コンクレート風の演奏ではなく、この映画では高橋悠治小杉武久観世栄夫という今考えると「超」豪華メンツでの演奏となっている。この音楽がまたキリキリと痛い。

 撮影は『エロス+虐殺』以来の長谷川元吉氏で(この方のお父さんは長谷川四郎だということを、たった今調べていて知った!)、この撮影がまたすごい!
 おそらくはこの作品はほぼ「オールロケ」だろうと思われるのだけれども、まずはこの戦後30年も経た時代に「戦前」の風景を現前とさせる画面を探し出した、その「ロケハン」の努力に頭が下がる。
 そして『エロス+虐殺』以来の、長谷川元吉氏による「意識的」な極端なカメラ構図に、やはり惹き込まれてしまう。

 ‥‥演出、脚本、そして音楽、撮影と、映画という表現のひとつの「極北」を見せられたような気がする。