朝から晴天。今日も気温が上がって20度にもなったらしい。わたしはいちど、久しぶりに布団を干すのに部屋を出たが、外に出たのはそれだけ。部屋の中はそこまでに暖かくもならず、まだまだ電気ストーブを使う。
午前中は昨日観た映画『フレンチ・ディスパッチ』のパンフレットを読んで過ごした。
先日観た黒沢清監督のドキュメントで、「映画とは何か?」という問いに黒沢監督は「映画とはおおぜいで感情を共有する場所である。自分が面白いと思って笑ったとき他の人は笑ってなかったり、逆もある。反応は人それぞれ違う。そんな違いを知る場所だ。」というようなことを語っていた。それは「映画」のことというよりも「映画館」のことなのだけれども、逆に「映画館で映画を観る」ということこそが「映画」であり、それは「映画」という体験なのだということだろう。
久しぶりに映画館で映画を観て、わたしは特に周囲のお客さんとの反応の違いは感じなかったかもしれないが、「みんなあんまり笑わないんだな」という気はした。ただそれは、最後列の座席で観ていたから、前の方のお客さんの笑い声などは聞こえてこなかったのだ、ということだろうか。それでも、やはりそういう「映画館」という閉ざされた空間で、同じ映画作品を観るという体験を楽しんだわけだった。
ただこれが「舞台公演」だと、座席位置の関係でそれぞれの観客の観るものが微妙にずれてくるわけで、「座った席の位置が悪かった」とかいう反応も出てくるし、じっさいに「見切れ席」というものもあり、閉ざされた劇場内の空間でも、それは映画の上映でのように「均質・一様」ではないことになる。
前に書いたように、まだわたしは「舞台公演」を観に行こうという気もちにはなかなかなれないでいるけれども、「映画」はもっと、映画館に足を運んで観てみたいと思う。
ところで、そのウェス・アンダーソンの新作は「Asteroid City」というタイトルだとパンフレットにあり、実はもう撮影は終了しているそうだ。スカーレット・ヨハンソンやティルダ・スウィントンらが出演しているらしいが。
先日、好きなエドガー・ライト監督の作品を見逃して残念だったことを書いたが、昨日映画を観たとき、またまたエドガー・ライト監督の新作、かのザ・スパークスを取り上げたドキュメンタリーの『スパークス・ブラザーズ』の予告が流された。
実はスパークスの音はほとんど聴いたことがなく、アルバム『キモノ・マイ・ハウス』のジャケットぐらいしか知らないのだけれども、クセのあるバンドだということは知っていた。そのバンドのドキュメンタリーを、エドガー・ライトが映画にしたというのだからやはり観たい。スパークスの音楽は、これからサブスクで聴いて備えようか。
音楽関係のドキュメンタリーではもう一本、あのフランク・ザッパを捉えた『ZAPPA』という作品も公開される。フランク・ザッパのデビュー時から彼の音楽を聴きつづけたわたしとしては、観ないわけにはいかないドキュメンタリーだ。しかもどうやら、そのドキュメンタリーの焦点は、わたしがいちばん好きだった「Mothers Of Invention」時代に当てられているらしいので、なおさら観ないわけにはいかない。
「観たい映画」がもう一本。『フレンチ・ディスパッチ』のパンフを読んでいたら、その最終ページに「次回上映映画」の広告があり、それがギレルモ・デル・トロ監督の新作『ナイトメア・アリー』という作品だった。出演者がすばらしいというか、まずはわたしがいちばん好きな俳優であるトニ・コレットが出ているし、やはり大好きなルーニー・マーラも出演。ケイト・ブランシェットもだ。
この映画はたいていのギレルモ・デル・トロ監督作品と違って、別に原作があり、過去に『悪魔の往く町』(1947)として映画化されているらしい。ノワールなサイコ・スリラー映画だという。
ギレルモ・デル・トロ監督もそれこそいろんなジャンルの映画を撮っているが、彼のノワールな味わいの作品も観たいし、何よりこの出演者らでは、観ないわけにいかないだろう。
ということで、「観たい映画」のことばかり書いてしまったが、これからはもっと「映画館」で映画を観たい。何といっても、去年は1年間で5回しか映画館で映画を観ていないことだし。
それでいろいろチェックしていたら、そのギレルモ・デル・トロ監督の2015年の作品、『クリムゾン・ピーク』が無料配信されているのを知った。わたしはこの映画は映画館で観ていると思うのだが、例によって「これっぽっちも」記憶していないので、観ることにした。
今夕の食事はまたまたブロッコリー。前にもつくったが、「白菜とブロッコリーのクリーム煮」。前はフランクフルトを刻んで入れたが、この日はハムにした。