ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-06-24(Thu)

 今週は、一日雨が降りつづける日というのはないけれども、突然の雨、驟雨(今はこの言葉も死語に近いが)におそわれることが多い。空の黒い雲を見ると「ああ、あの雲がこちらにやって来ると、雨になるのだろうな」と思わせられるのだが、今朝、駅に向かうときに西の空に見えた雲なども、まさにそういう感じではあった。

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 今日も仕事をしていて、先日のヤモリにまた出会ってしまった。まさかわたしの前に姿を出せば食べ物を与えてもらえると思っているわけもないだろうし、今日はハエトリグモの姿も見当たらない。
 やはり廊下や階段がエサになる虫類が多いとか、ただ「明るいのが好き」とかあるのだろうが、まさかペットにするわけにもいかない。今日ヤモリが居た場所は地下の駐車場へのドアのすぐそばだったので、ちょっと追ってやるとそのドアの下のわずかなすき間から駐車場へ入って行った。まあわたしとしては、その駐車場がヤモリくんの棲み処としては「いちばん」ではないかと思うのだが。

 仕事をしているとスマホに通知が来て、見てみるとこれからもうじき、ウチ(自宅)のあたりで激しい豪雨が降り始めるだろう、というものだった。この「豪雨予想」の通知というのはあんまり当たることはなく、そんな通知もないのに大雨になったりするし、通知に反して雨などまるで降らなかったりする。なんだか、空の雲の具合を見た方がよく当たる気がするのだ。

 今日は帰宅して落ち着いたあと、夕方から「GYAO!」の無料配信映画でウディ・アレン監督の『マジック・イン・ムーンライト』という映画を観た。
 ちょうど先日、日本の映画ジャーナリストが執筆した『ウディ・アレン追放』という本が刊行されたばかりでもあり、わたしもその本を紹介したコラムであらためて、「ウディ・アレン事件」と呼んでもいいような一連の事態をかいつまんで読むことにもなった。

 今日観たウディ・アレンの映画とは直接に関係ないことなのでこの日記の方に書いておくけれども、今、アメリカの映画界からウディ・アレンは消し去られようとしている。話はいわゆる『#MeToo』で派生したスキャンダルで、基本はウディが自分の7歳の幼女に「性的虐待」をしたとされる件で、その件は1992年の出来事とされ、1994年には虐待疑惑の証拠は決定的ではないと捜査も終了していた。
 それが『#MeToo』の動きの中でまた持ち出され、なんと2019年のウディ・アレンの新作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』はアメリカをはじめ多くの国で公開されないということになり、『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』に出演した多くの俳優らが「ウディ・アレンの作品に出演したことを後悔している」とも語ったというのだ。

 わたしはあくまでも短いコラムで読んだだけで、そもそもウディ・アレンという人物のことはもともと好きではないというか、はっきり言えば「嫌い」な方なのだけれども、それでもこの件には疑念がいろいろある。
 説明すると長くなってしまうのだけれども、この件にはウディ・アレンを含めて3人の「関係者」が存在する。ウディと、彼の親しいガールフレンドであったミア・ファロー(ミア・プレヴィン)、そして現在のウディの妻であるスン・イーとである。そしてどうも、この3人は誰の語ることも信用できそうにない。
 そもそものちにアレンと連れ添うことになるスン・イーはミア・ファローに養子として迎えられた身寄りのない孤児だったのだが、ミアの証言ではそのころひんぱんにミアの家に来ていたウディは、まだティーンエージャーだったスン・イーと関係を持ったのだという。このことは事実なのだが、別の証言ではミアはスン・イーを虐待していたという話も出て来るし、また別の話を読むとスン・イーという女性もタダモノではなく、ウディはいわゆる「ハニートラップ」に引っかかった、という見方も可能ではないかと思う。

 この件はそれこそ「真相は<藪の中>」というところもあるのだが、それでもウディ・アレンが、スン・イーのケースにおいては「モラルに反する(未成年女性との性交渉)」ということは事実だったろう。そのことが、1992年の7歳の養女への性的虐待という告発に結びつくわけだろうし、そもそも、ウディ・アレンの映画をみれば(今日観た『マジック・イン・ムーンライト』もまさにそうだが)、彼が親子ほどに歳の離れた女性と「交際」することにあこがれていることは明白だろう。観てあまり愉快なものではない。

 そのことで今思い出したのが、やはり最近読んだ、ジェームズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアに関してのコラムのこと。
 実はわたしはロジャー・ムーアという役者さんが苦手で、ボンド映画でもロジャー・ムーア主演だとスルーしてしまう人間なのだが、そのコラムを読んでちょっとロジャー・ムーアという人を見直してしまったのだった。
 そこに書かれていたのは「なぜ、彼はボンド役を降板したのか?」ということなのだが、実はその理由は彼の体力の衰えとかそういうことではなく、共演するボンド・ガールとの「年齢差」が切実なものになってきたからだという。特に1981年の『007 ユア・アイズ・オンリー』では当時ロジャー・ムーアは53歳だったが、ボンド・ガールを演じたキャロル・ブーケ(ボンド映画に出てたのだね、知らなかった)は24歳と、30歳近い年齢差があり、ロジャー・ムーアは「そりゃマズいだろ」と考え、「もうボンドは演じられないな」と思ったらしい(まあその後さらに2本のボンド映画でボンドを演じているが、ボンド・ガールとの年齢差はそこまでのものでもなかった)。
 
 まあわたしがあまりに「モラル」「モラル」と言うのもこっけいだけれども、そういう「観客に夢を与える」という映画のひとつの役割の中で、そういうモラルに反した、つまらない「男の願望」を描くことは、「短絡的」だと言われることを承知の上で、「犯罪」をも誘発するものではないかと思うのだ。まずそれは、女性を男性の願望に従わせようとする「マチズモ」ではあるだろう。そういうところでは、ウディ・アレンはやはり「罪深い」と言うべきだろうか。