ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-18(Thu)

 今日は仕事の帰りに一駅乗り越して、となり駅で降りてから近くのスーパーに寄り、買い物をして帰った。こっちのスーパーはお惣菜がおいしいし、今日はちょっとおいしいモノを食べたい気分ではあったのだ。

 そのスーパーからの帰り、マンションのあいだの桜並木のところに来てみると、思いもよらずにすでに桜の花はたくさん咲き始めているのだった。わたしの職場のあたりの桜の開花状況に比べると、はるかに開花が進んでいるようで、これだけ花が咲いているのならもう、この週末には「花見」ができそうに思ってしまうのだった

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 うちの近くまで来ると、空き地の雑草のあいだをモンシロチョウがひらひらと飛んでいた。「こいつがどれか花のところにとまってくれれば写真が撮れるのだが」としばらく見ていると、わたしの思惑通りに花にとまるのだった。カメラを準備して待っていたので、すぐにファインダーを覗いてシャッターを押した。
 その場では確認できなかったけれど、帰宅してみてみると自分らしくもなくうまく撮影できていた。ただ、そのモンシロチョウの羽根がちょっと傷ついていて残念だったが、それはこのモンシロチョウのせいではない。

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 帰宅してしばらくすると、昨日の午後にAmazonに注文してあったブックスタンド(書見台)が早くも届いた。ずいぶんと早い。梱包を解いていじくってみたが、使い勝手は良さそうだ。これで思惑通りに読書がはかどるといいのだが、あとはわたしの努力次第だ。

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 先週、「イデビアン・クルー」の公演に行かなかったことを後悔したばかりだったときに、やはり前からわたしがずっと観ている某ダンス・カンパニーの公演が来週にあることを知り、「今回こそ観に行って、引きこもり生活にも別れを告げようか!」と、昨日メールで予約を申し込んだのだった。
 ひょっとしたら「もう予約がいっぱいかも?」とは思っていたのだったが、しばらくしてメールの返信が来て、わたしが予約しようとした回はけっこう予約があり、「混雑が予想されるので他の回に変更できないでしょうか?」という。
 この公演での観客はオールスタンディングで、座席としての「定員」はないらしいのだけれども、まあ「他の回にしてくれ」というわけだ。それはわたしには「ちょっと‥‥」というところだったので、残念だけれども「それでは予約は取り消します」との返答をした。
 それですべて完了したものと思っていたのだが、夜遅くにまたそのカンパニーの制作の方からメールが来て、当初わたしが予約しようとした回にキャンセルが出たので「ご案内が可能になった」というのだった。

 ‥‥わたしは、そのメールはおかしいのではないかと思った。
 つまり、さいしょに「他の回に変更できないか?」というのは、単に「混雑が予想されるから」ということなのだ。それが「キャンセルが出たからOKだ」というのは、つまり「一人来る人が減ったからあなたは来てもいい」ということになる。わたしの認識ではそういうのは、つまり「定員いっぱい」だったところが「空席ができたからあなたも入れる」ということだ。
 はっきりいうと、それは「混雑が予想されるので他の回に変更してくれ」というさいしょのメール内容とはぜんぜんちがう。その制作の某氏は、あとから来た「ひとりキャンセルが出たからあなた入れます」というメールならば、さいしょっから「定員」ということを設定していて、わたしが予約を申し込んだときには「定員オーバー」という認識でわたしに「残念ながら‥‥」とメールしてくれたことになる。ところが、その人のさいしょのメールは「混雑が予想されるから(来るな)」というものだった。
 わたしがわからないのは、そういう状態でなぜさいしょっから「当方の設定した定員に達しておりますので、予約は締め切りました」という至極真っ当な返答ではなく、「混雑が予想されますので」などというあいまいな表現をしたのか?ということなのだ。
 わたしの考えでは、「混雑が予想される」なかで、例え一人のキャンセル客が出たからといって、「これで混雑が解消され、あなたの入場が可能になります」とはならないだろうということである。

 こんなことをこういう<公開されている>日記(ブログ)に書いてしまうのは、相手方がそこまで大きな組織でもないわけだし、よろしくない。書くべきでないとも思うのだけれども、つまり、わたしは<愉快>ではなかったのだ。
 別にそのダンス・カンパニーにこの「不愉快な気分」をぶっつけようというのではないことはわかっていただきたいのだけれども、つまりわたしがここで書きたいことは、「先週は行きたいと思っていた公演に天候のこととかがあって行けなかったわけで、今回は是非ともちゃんと行って、これからの生活サイクルにはずみをつけてやろう!」と思った気もちが、みごとにポシャってしまったということである。そしてこのことはあくまで「わたし」の問題で、そのダンス・カンパニーは基本悪くないのである(いや、多少は「おかしい」と思っているからこうやって書いているわけではあるけれども)。つまり、「すっかりダメなわたし」という話である。
 ま、もう当分は「ダンス公演」など行くもんか!という気分になったのではあります。やはり今の「引きこもり生活」をもっと継続しなさいという、これは「天からの声」なのでしょうか?