ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『イリュージョニスト』(2010) ジャック・タチ:原作 シルヴァン・ショメ:脚本・監督

イリュージョニスト [DVD]

イリュージョニスト [DVD]

  • 発売日: 2011/10/08
  • メディア: DVD

 生前ジャック・タチが遺した脚本を、『ベルヴィル・ランデブー』のシルヴァン・ショメが映画化したもの。『ベルヴィル・ランデブー』も面白く観た記憶があるけれども、ただどうも人物のデフォルメが強烈で、「フランスの人ってこういうところがあるんだよな」とは思ったものだった。それでこの『イリュージョニスト』も、そのあたりが観始める前に気にはなっていたわけで、じっさい脇役的人物で「うっへぇ~」というような絵柄のキャラクターも登場したのだったけれども、そんなことはすぐに忘れてしまう。
 作品自体の味わいの深さ、そして背景になる風景や室内の古典的な水彩画を思わせられる線描、決してナマの原色を使わない淡い色彩の美しさ、その変化、「どれだけ手間をかけているのだろう」というという自在な視点の移動などの前に、わたしは「これはDVDを買わなくっては!」と思ってしまったのだった。

 主人公の手品師タチシェフはまさにジャック・タチにそっくりなのだけれども、それはその体型だとか表情だとか、今までわたしがジャック・タチの映画で慣れ親しんだ、独特の彼の動きとかを含めてのことで、おそらくはこの作品の監督のシルヴァン・ショメはタチの映画の1コマ1コマまで分析して、このタチシェフというキャラクターを創出したのではないかと思わされた。ちなみに「タチシェフ」というのは、ジャック・タチの本名ではあったみたいである。

 時は1959年、時代と共に手品師ら芸人の仕事は減少しつつある。パリのミュージックホールに出演していたタチシェフも、次の仕事でロンドンへと、仕事のパートナーのウサギ(いくらアニメといっても、おしゃべりするウサギとかではない。あくまでもリアルにウサギなのである)と、自前の自分の公演ポスターと共に船で移動する。しかし時はスウィンギング・ロンドン前夜。そんなビート(ロカビリー)・グループ(ドラマーがリンゴ・スターに似ている!)と共の舞台にブッキングされたタチシェフだが、バンドの演奏が終わるともう客はほとんど残っていないのだ。
 次に野外パーティーの余興みたいなかたちの仕事をやるのだけれども、受けない。そこでキルト姿の男に名刺をもらい、それを頼りにスコットランドの離れ島へ行くタチシェフではあった。島の町のパブでの仕事。パブはにぎわっていて、タチシェフの手品も受ける。パブの手伝いをするアリスという少女と知り合ったタチシェフは、翌日彼女のために赤い靴を買ってあげ、「魔法」で出したかのように彼女にプレゼントする。アリスはタチシェフのことを「ほんとうの魔術師」と思い込むのだ。
 島を離れたタチシェフに、アリスもついてきてしまう。「エジンバラに行きたい」というアリスと共に、タチシェフはエジンバラへ行く。そこでうまく道化師の男と知り合い、ホテルに案内される。アリスも同じ部屋に泊まり、タチシェフはソファで寝ることにする。そのホテルにはその道化師、アクロバット芸人ら、そして人形を遣う腹話術師らがいる。タチシェフもミュージックホールでの仕事を得る。客はそこそこだけど、何とかやっていけるだろうか。でも都会の人々を目にしたアリスは、もっといい服やいい靴が欲しくなる。タチシェフは魔術師だからまた出してくれるだろう。
 ミュージックホールの客はだんだんに少なくなってくる。タチシェフはアリスの欲しがる服や靴を買うために、ミュージックホールとは別にガソリンスタンドで仕事を始めたりする。

 タチシェフはなぜ、そこまでアリスを大事に、親切にするのだろうか。そのことは映画のラストまでわからない。
 芸人たちの世界はいよいよ苦しくなり、ホテルから芸人たちは姿を消し、道化師は自殺未遂をし、腹話術師は物乞いに身を落としている。タチシェフはアクロバット芸人に新しい仕事を紹介されるが、それは店のショーウィンドウで商品の宣伝をするようなやりがいのない仕事。
 アリスはエジンバラという都会で、タチシェフからの服や靴のおかげもあって、だんだんと垢抜けして美しくなり、ホテルの向かいに住む若い男と知り合うだろう。タチシェフは仕事を辞め、アリスにボーイフレンドができたことを陰からみて、アリスに「魔法使いはいない(Magicians Do Not Exist)」と書き残し、ひとりで列車でエジンバラの街を去って行くのだ。彼はもう、手品師もやめるのかもしれない(それは、列車の中での向かいに座る母子とタチシェフとのエピソードで想像できる)。

 いろいろと、監督のシルヴァン・ショメによる音楽も含めて余韻の残る作品で、思い出される美しいシーンも多かった。
 特に終盤、タチシェフが相棒のウサギをエジンバラの郊外の丘に放ってやったあと、そのウサギをとらえた視点が空に上がり、ウサギを俯瞰したあとにぐるりと移動してエジンバラの街全体を見せて行くショットにはため息が出るし、タチシェフのいなくなったホテルの部屋からアリスが去って行くときに窓からの光がやはり移動して、テーブルの上の英語辞書(?)のページが風でめくれてその影が部屋の壁に映る美しさ。そして、アリスがボーイフレンドとふたりで雨の街を歩くとき、上からの視点で行き交う人の傘の中を歩むふたり。心に残る。

 Wikipediaで「シルヴァン・ショメ」の項を読むと、このときシルヴァン・ショメは、この作品の舞台になったエジンバラにスタジオを構えていたらしい。自然と一体になった、起伏に富んだ美しい街だと思ったのだけれども、どうやらここで描かれた街の姿は、けっこうリアルなエジンバラの風景のようだ。
 まずはそもそもの、ジャック・タチによるものではあるだろう「詩情」がしっとりと、布に水が浸み込むみたいに心に沁みるのだけれども、いわゆる既製のアニメからは距離を置いた作画、そして(セリフも切り詰められた)説明を廃した演出など、時代から離れた普遍的な感覚を呼び起こす、美しい作品だとは思ったのだった。