ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-19(Fri)

 すっごい久しぶりに、駅から自宅に帰るのに、以前使っていた駅の北側の国道沿いの道を歩いた。この道沿いには小さな神社があり、その周りに桜の木がけっこうな数植わっている。
 4年前の4月12日に、わたしは今の住まいに転居して来たのだけれども、そのときわたしはニェネントにキャリーに入ってもらい、電車を使ってニェネントといっしょに新居へとやって来たのだった。駅を降りてこの神社の前に来たとき、桜の花がまさに満開だったことをよく憶えている。
 今年ももうこの神社の桜も咲き始めていたけれども、まだ「満開」というのはもう少し先で、4月になってしまうのかもしれない。それでも、今年の桜は4年前より2週間ぐらい早く咲いているのだろう。

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 そして1年前の今日、わたしは勤務先で倒れて近くの病院に緊急搬送され、頭に穴を開ける手術を受けたという「忘れられない日」だったのだけれども、あれから1年が経ってしまったか。
 わたしが入院したときすでに、ある程度のCOVID-19の感染は拡がっていたのだったが、3月31日に退院して「自宅療養」をしていた4月の12日に、さいしょの<緊急事態宣言>が発令されたのだった。だからわたしには、その1年前のこの日に「慢性硬膜下血腫」で入院・手術したことと、その後の「COVID-19禍」による<緊急事態宣言>という事態は連続しているという意識で、5月いっぱいまで「Stay Home」療養がつづいたのだった。
 このときの「入院~手術~療養」ということがわたしのなかで<緊急事態宣言>と連続して意識されていることは、今でもわたしの考えに大きな影を落としている。
 そういえば去年入院していたときは、3月も26日とかぐらいから桜が花咲き始め、わたしの病室のあるフロアから、近所の神社の桜に花咲き始めたのが見ることができたものだった。それで、29日にはなんと雪になり、満開の桜を背景に「雪桜」などという風流なものをみることもできたのだった。

 とにかく、この3月19日という日、わたしにとってはこれからも忘れることのないだろう、「それまでのことをご破算にした」ような記念日ではある。あとはそれを良い方向に向けるというのが、わたしの仕事ではある。

 政府は<緊急事態宣言>をこの21日で解除することを決定し、昨夜にスカ首相と新型コロナ分科会の尾美会長とが会見を開いた。
 首相は「飲食店の時間短縮を中心にピンポイントで行った対策は、大きな成果を上げ、1都3県の感染者数は1月7日の4277人から、昨日の725人まで8割以上減少しています」と、<緊急事態宣言>の成果を自画自賛するのだったが(誰も褒めてくれないので自分で褒めた)、たいていの人は「<緊急事態宣言>といっても、対策としてはその飲食店の時間短縮をやったぐらいのものだし、今げんざい、2週間前よりも新規感染者は微増しているし、変異ウィルス感染者も出てきている。今解除していいの?」と思うのではないだろうか。じっさいのところスカ首相の本音は、「今<緊急事態宣言>を解除しなければ、いつ解除できることになるかわからない」ということらしい(オリンピックもやりたいしね)、つまりこれは「COVID-19を抑え込めれたから<宣言>を解除する」というポジティヴなものではなく、現実「もうどうしようもない」と投げ出したものではあるようだ。

 それで、<宣言>が解除された来週以降、新規感染者数が今より激減するなどということはまず考えられないし、「変異ウィルス感染者」が各地に拡がってきたらどうするのよ?とは誰もが思うところで、まさかそこでまたまた<緊急事態宣言>の再・再・再発令などとやれば、誰だって「政府はいったい何をやっているんだ」ということになるだろう。
 そこでどうやら、以後<緊急事態宣言>の代わりに<まん延防止等重点措置>というものが登場してくるようだ。
 昨夜の会見で、尾美会長が何度も「マンボウ」と繰り返していたのがこの<まん延防止等重点措置>のことなのだけれども、これは何のことはない、現行の<緊急事態宣言>とほぼおんなじ内容なのである。いつまでもつづく政府・スカ首相の無為無策ぶりを、ただ言葉を変えるだけで「新しい政策だ」とごまかそうとしているわけだろう。はたしてそれで国民をだませると思っているのだろうか。

 話は変わるけれども、わたしもまた「マンボウ」と聞けば、あの海の巨大な変なサカナのことを思い浮かべてしまう。そしてマンボウといえば、1回の産卵で3億もの卵を産み、そのうちに成魚まで育つのは1~2匹しかいないのだ、という伝説を思い浮かべることになる。
 この「逸話」のことを考えると、いつも不思議な感覚に囚われてしまうことになってしまうのだけれども、つまり、3億の卵から育つのが1~2匹というのは、パーセンテージでいうと0.0000003から0.0000006パーセントにすぎないわけで、限りなくゼロに近い。これはどうして「ゼロ」になってしまわないのか、それとも「10~20匹」とかになってしまわないのかということで、まあ「ゼロ」だったらマンボウは滅亡してしまうことになるからそれはないとして、どうして都合良く、今の地球上でマンボウの生育に適した数だけが成長するのかということがわかりにくい。なぜ、海がすべてマンボウで埋め尽くされるということにならないのか?
 それでちょっと調べてみたのだけれども、どうもマンボウが3億の卵を産むというのは「幻想」、「伝説」ではあったようだ。しかしそれでも、8千万の卵を産卵するということは確認されたことがあるらしいが。そしてその後、成魚にまで成長するのも1~2匹だというのも、誰かが確認したわけでもないらしい。
 そのことに関連して、先日ウミガメの産卵のドキュメントをテレビで見たのだけれども、ウミガメも浜辺にだいたい百個ぐらいの卵を産卵するわけだけれども、卵のうちに食べられてしまうのもあるし、孵化して海に戻っても、その大半は大きな魚や海鳥に食べられ、生き残るのはほんのわずかの数らしい。でもしかし、決してすべての子ガメが食べられてしまうのではなく、ちゃんとウミガメの「種」の保存のための子ガメは生きのこるのである。このあたりが「神の摂理」というか「生命の神秘」というか、つまりこういう不思議な力が、マンボウにもはたらいているということなのだろう。