ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-11(Thu)

 あの東日本大震災、そして東電原発事故から十年の日になった。わたしもあらためて十年前の震災のころに書いていたブログを読み直し、「あの頃自分はどうしていたのか」「あれから何がどう変わったのか」などと確認した。自分の記憶のあやふやなこともあり、思い込んでいたことがじっさいにはそうではなかったことなど確認できた。
 自分の体験など大したものではないが、それでも人それぞれの「3.11」があった。そのときのブログ(日記)をコピーしておこう。このときわたしは茨城県筑西市(旧下館市)に住んでいて、ニェネントは生後9ヶ月だった。

 きょうも晴天。しごとから帰り、昼からヴィデオを観る。ヴィデオもそろそろ終わるころになって、あたりがゆっさゆっさと横ゆれしはじめた。かなり大きい揺れである。しかも、なかなかおさまらない。というか、だんだんに揺れが大きくなってきて、棚の上のものなどが下に落ちはじめた。あたりから雑音がひびいてきて、棚自体がそっくり、倒れないで動き始めた。電気がいっしゅん消えてしまい、これはもう大地震といえるのではないか。とにかくこんな大きな揺れははじめての体験で、もうドアから外へ出なければ家も崩壊してしまうように思い、ドアのところへ行ったのだけど、そのときにドアの上の壁に亀裂が入り、目のまえに壁の破片がこぼれ落ちた。「もうおしまいか」と思った。停電はすぐに復旧してなんとか揺れもおさまり、家のなかをチェックすると、いちばんひどいヒビがはいっていたのはトイレのなかだった。玄関口、和室、リヴィングそれぞれの壁にもヒビがはいった。さいわいにもTVも本棚も倒れたりしたものはなかった。これはほんとうにラッキーだったと思う。水道の水はちゃんと出るけれど、水量が細くなっている。ガスはちゃんとつくのだけど、ガスの元栓には揺れを感知して遮断する装置がついているはずなのに、あれだけの揺れのあとにこうやってガスがでているのはヤバいんじゃないかと思う。
 TVをつけると、震源宮城県沖の方らしい。津波警報が出ていて、津波の高さが10メートルになるともいっている。大災害が起きているようだ。しばらくしてまた大きな揺れがきて、気もちが落ち着かない。小さな余震はしょっちゅう起きていて、そのたびに建物全体が軋む音がする。ニェネントも部屋が揺れるたびにあちこちに移動する。また揺れはじめて、また余震かと思っていると、さいしょの揺れに近いぐらい大きな揺れになった。いいかげんこの建物もさいしょの揺れでガタガタになってしまっているだろう。次にちょっと揺れても崩壊してしまうような気になって、落ち着いて部屋にも居られない気分で、批難場所になっているすぐそばの公園に行ってみた。五、六人のひとが出て来ていて、ちょうどわたしの家の向かいに住んでいらっしゃるご夫婦の方と顔を合わせ、お話をする。家具が倒れて大変なことになっているらしい。知人に電話してもつながらないと。
 落ち着かない気もちで家に帰り、ネットの情報などをみる。このあたりは「震度6強」だった、となっている。東京でも震度5強と出ているので、家屋が崩壊しなくてもどんな事故が起きているかわからない。じっさいにお台場のビルの上から黒煙と赤いほのおがあがっている映像が流れていて、知人などの安否がとても心配になる。さらに、宮城県津波の映像が流される。TVの解説者も、解説にならない叫び声をあげる。ディザスターだ。知人や娘などにメールする。
 夜になってそれぞれからメールの返信が来て、無事が確認できた。ニェネントもおとなしくなり、どうやら地震騒ぎのおかげで、発情期も何もふっとんでしまったようだ。TVのニュースをつけたままでベッドに入り、報道をききながら寝た。

 このときわたしは、住んでいたあたりは「震度6強」だったと書いているけれども、それはやはり「5強」の誤りではないかと思う。ウチのあたりは家屋の崩壊などの大きな被害もなかったけれども、わたしの住んでいた鉄筋3階建て住宅(全9戸)ではどうやらわたしの部屋がいちばん被害が少なかったようで、特に3階では以降雨漏りするようになったらしいし、壁のひび、屋内施設の故障などかなりのものだったらしかった。けっきょく震災のあとほとんどの世帯は転居して行き、そのあと数年間は1階のわたしの部屋、そして2階中央の部屋にもう一軒住みつづける方が居るだけになってしまった。
 4年前にその2階の住民の部屋から出火し(わたしが第一発見者になり通報し、住まわれていた方は焼死された)、延焼はしなかったけれども、火災の出た集合住宅は以後住みつづけることは出来なくなるらしく(見えないところの配管、配線などが危険なのだ)、それでわたしは今の住まいに転居して来たわけだ。

 震災の時のことをこうして読み返すと、わたしが「逃げよう」としたときに、ニェネントのことを放ったらかしにしていることがショックだ。まあずっと「室内飼い」で成長したニェネントを外に連れ出すのは、そのときキャリーも持っていなかったからムリがあっただろうけれども、日記にもう少しニェネントのことを書いてやってもいいではないか。冷たい飼い主だ。

 このとき水道は直に断水してしまうのだけれども、翌日に近くの公園の水道からは水が出ることがわかったのだった。これはまさに「災害用」の給水タンクからの水だったらしいけれども、日記を読むとその公園の水道もたった1日で出なくなってしまったようだ。それが近所を歩いていたとき、自転車屋さんが店先に「地下水あります。ご自由に使えます」と貼りだされていて、わたしもその水を利用させていただいた。水道が復旧したのは4日後、3月15日だったから、そこまでに深刻な断水ではなかった。

 スーパーやコンビニは大変だった。閉店しているスーパーもあったし、地震翌日はレジに並ぶお客さんが店内のいちばん後ろまでつづいていたし、食料品も飲料水も完売、コンビニは「一人6品まで」という制限を出して営業していたようだ。

 茨城県は関東ではここだけ「被災地域」ということにされ、「計画停電」(けっきょく実施されなかった)の対象からも外されたのだった。ウチの近所では崩壊家屋などもなかったけれども(地震のあと屋根をブルーシートで覆われた家はところどころで見られた)、事務所ビルの外装が崩れ落ちたり、ブロック塀が倒れたりしたところは見受けられた。ある意味で、わたしが住んでいた建物もかなりの被害だったといえるわけだろう。
 わたしの部屋の被害は、壁のあちこちにひびが入ったぐらいだったが、棚の上から落下したラジオ(「COUGAR」だ)が、あとで使おうとしたらウンともスンともいわなくなってしまった。唯一の被害だっただろうか。

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 今日は地震の起きた2時46分から、わたしも黙祷を捧げた。

 東京のCOVID-19新規感染者数は下げ止まりになっていて、昨日今日などは先週よりも微増している。これでは2週間延長の際中の<緊急事態宣言>の解除も不可能ではないだろうか。だいたい、ただ「<緊急事態宣言>を延長する」というだけの政策で、何の方策の提示もない「愚策」なわけだから、効果がなくてもあたりまえだと思う。繁華街、スポットへの人出は増えてきているという。来週は桜の花も開花するし、ただ上野公園とかの大きな花見スポットで桜の周囲を「立ち入り禁止」にしても、都内周辺にはいくらでも桜スポットはある。花見の宴会を屋外でやろうと思えば場所はある。<緊急事態宣言>の拘束効果など、どんどんなくなって行くだろう。

 さて、今日は夕食に「ブロッコリーとベーコンと卵の炒めもの」をつくったのだが、ここで初めて、新しい電子レンジの不便な点が出てきた。
 ブロッコリーを電子レンジで先にあたためようとしたのだけれども、新しいレンジは野菜を入れる容器は使わず、じかに野菜をラップで包んでレンジに入れてくれという。これは電子レンジがあたためるモノの重量を計ってあたためる時間を自動的に決めるから、皿の上などにのせると皿の重量がプラスされて計算されるからだという。しかし、皿の上に野菜を乗せてラップするのはかんたんだけれども、皿なしに野菜(この場合ブロッコリー)をラップに包み込むというのはやりにくい。たいへんだ。ポロポロとこぼれてしまう。一苦労してしまった。
 ここはポリ袋とかに入れてレンジにかけれれば解決するのだけれども、普通のポリ袋やビニール袋は熱に弱いから、電子レンジでの使用はやめてくれということのようだ。電子レンジで使えるポリ袋も市販されているようだけれども、ちょっとだけ高い。うまくサランラップで野菜を包み込む「技」を身につける方がいいだろうか。