ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-04-07(Wed)

 3月の支出を清算した。3月は何といっても「電子レンジ」を購入したからそれなりに支出総額は増えてはいるけれども、それでもまだ月単位で収入に対して支出が上回ったわけではない。電子レンジを抜かした支出としては2月よりはちょっと増えたけれども、それでもそれ以前と比較すればまだまだ低い額におさまっている。ただ、せっかく2月には減らした酒代が、ちょびっと増えてしまった。あとは、チョコレートやおつまみなどの「おやつ」類の支出が増えている。
 しかし、毎日仕事に出てつい買ってしまう缶コーヒー類、一日に2本ぐらい買っていたのだけれども、月半ばからはスーパーで先にペットボトルのコーヒー類を「まとめ買い」することで、すっかり節約できるようになっていると思う(これは、もう寒いからといって暖かいホット・コーヒーの缶とかを買わなくってもよくなったことも大きいか)。
 基本的に、そんなにムリして節約しようとしての支出総額ではないし、本などもそれなりに買っているわけだから(読めないほどに買ってもしょうがない)、そういう「お酒」の支出さえ気をつければ、今の路線でそんなに悪くはないと思う。4月はすでにデジカメを買ったので、またそれなりの支出にはなっているが(「電子レンジ」ほどの価格ではないが)。

 そのデジカメの使用説明書を少し読み、前のデジカメにあった「夜景モード」という撮影モードが、「SCENE」というセレクションの中に隠れているのがわかった。それで今朝の駅への道で、東の方角の少し明るくなってきた景色をその「夜景モード」で撮ってみた。うん、うまくきれいに、わたしの目の前の光景、わたしの視覚に極めて近しいかたちで撮影できたと思う。

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 昨日うまく撮れなかった、まだ暗い空の中で輝いている三日月も同じく「夜景モード」で撮ってみた。左側の小さな明るい点は、「明けの明星」、金星である。手持ちでの撮影だったけれども、ほぼ手ブレもなく撮影できた。前のデジカメはここまでのズーム拡大撮影はできなかったし、同じ「夜景モード」での撮影で、たとえ「三日月」であっても光がにじんで丸く写ってしまっていた。このカメラだとちゃんと「三日月」に写っている。小さな星(金星)もくっきりと撮影できているし、やはりカメラの性能が格段といいようだ。

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 仕事の帰り、ウチの近くでスズメとムクドリとを撮影した。これもかなりのズームで撮影したのだけれども、ぶれないでシャープに撮れていた。スズメの方はちょっと暗くなってしまったけれども、ムクドリの方はくっきりと美しく撮れたと思う。下から見上げたムクドリ、カッコいい。このくらい撮れれば大満足、である。

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 今日は「お掃除」をけっこうやった。ニェネントがびっくりして、いつものクローゼットの上のシェルターに避難した。まあ何から何まできれいに片づいたわけではないが、あとは机の周辺と本棚ぐらいになって、物の移動だけで終わるだろう。
 しかし、こうやって片づけてみると、そこでようやく「え? 今わたしの部屋に、知らない人がずかずかと入り込んでくるわけ?」と思うことになった。

 この日の東京の「COVID-19新規感染者数」は、555人になったという。怖いのは、ネットで読んだところでは今回のPCR検査数は1500に満たない数なのだということだ。つまり、検査を受けた人のうち三分の一以上が「新規感染者」だったというのだ。つまり、例えば東京都民のうち百万人がPCR検査を受けたとしたら、40万人もの人が「陽性」だという可能性があるということだ。
 スカ首相は「わが国はCOVID-19の抑え込みに成功し、感染者の数は多くの国に比べて多くはない」と、あたかも自分のCOVID-19対策が成功しているかのようなことを言うのだが、つまりこれはインチキで、PCR検査数を低く抑えることで、あたかも感染者が少ないではないかと見せかけているだけのことである。いくら<東京オリパラ>を開催したいからといって、国民をごまかすのはやめていただきたい。

 わたしがこのことで神経質になるのは、一年前の10日間ほどの入院で「わたしがいなくなってニェネントを独りで部屋に残すこと」の酷さを実感したことによるけれども、去年はウチの娘が近所のキャット・シッターの方を探して契約してくれ、そのキャット・シッターの方が毎日わたしの部屋に来てくれて、ニェネントの毎日のごはん、そしてトイレの掃除の世話をやっていただいたのだった。
 ではもし、これからわたしがCOVID-19に感染して入院しなければならなくなったとしたらどうなるか? そのとき、わたしの部屋は「COVID-19に感染した人が生活していた部屋」ということになるわけで、それはキャット・シッターの方も「いや、そういう部屋には入りたくないです」ということにはなるだろう。
 つまり、もしもわたしがこれからCOVID-19に感染して<入院>するということになったならば(奇しくもこの4月7日は、一年前のこの日に<緊急事態宣言>が発令された日だったという)、つまりニェネントは<置いてけぼり>というか、誰もごはんの世話をすることもなく飢えてしまうのだ(まあ<入院>ということではなく<自宅療養>してくれ、ということになれば、その方がわたしとニェネントにとって「喜ばしい」のだが)。
 今はニュースでも、東京中心としたCOVID-19の感染まん延状況は拡大していると報じているけれども、実は報道されているよりはもっともっと、感染はまん延してきているだろう。

 わたしも毎日の通勤で、それなりの感染の<危機>に身をさらしているわけだけれども、それ以外に、「どこの誰だか知らない人」にわたしの部屋に立ち入られて、通知では<宅内作業約60分>という時間を室内で勝手にふるまわれていいものだろうか?
 こういうことにようやく思いいたり、今回の「室内作業をしたいという申し入れ」は「今の時期、それは承服しかねます」ということで断ろう、という結論になった。