ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『パターソン』(2016) ジム・ジャームッシュ:監督

パターソン [DVD]

パターソン [DVD]

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 わたしはこの映画をなぜ公開時に映画館で観なかったのだろうか。そもそも、このジム・ジャームッシュ監督の作品のこと自体、頭の中に記憶されてはいなかった。こうやって「GYAO!」の無料配信映画になっていなければ、わたしは永遠にこの映画と出会うことはなかった可能性が強い。ここは「GYAO!」の無料配信に感謝するしかない。

 先に書けば、もう大好きな作品だ。何と愛おしい映画だろう。観終わった今、DVDを買おうとも思っている。

 主人公のパターソン(アダム・ドライバー)は、アメリカ、ニュージャージーのパターソンに住んでいる。パターソンの町はコメディアン、アボットコステロのルー・コステロの出身地であり、町には彼の銅像が建っている。そして、アレン・ギンズバーグの出身地であり、この映画でも重要な人物であるウィリアム・カーロス・ウィリアムズもまた、パターソンの出身である(彼にはまさに「パターソン」と題された詩集もある)。

 パターソンはちょっと不思議ちゃんでかわいい奥さんのローラ(イランの女優さん、ゴルシフテ・ファラハニ)と二人暮らし、そう、あとブルドッグのマーヴィン(ネリー)を室内飼いしてる。小さなかわいいおもちゃのような平屋の家で暮らしていて、でも地下には天井の低い書斎がある。パターソンは自分の特別のノートに「詩」を書きためているのだ。彼が好きな詩人がウィリアム・カーロス・ウィリアムズで、彼の詩集をいつもめくっている。パターソンはバスの運転手である。

 映画は、月曜日の朝にローラといっしょに寝ているパターソンが目覚めるところからはじまる。パターソンが置いてある腕時計を見ると、6時10分である。あとから目覚めたローラは、見た夢の話をパターソンにする。それは二人が双子の子を持つという夢だったという。
 パターソンは仕事に出、バス車庫のドニーとあいさつを交わし、バスで町に出る。乗客には双子の姉妹もいる。ふたりの少年が、ハリケーン・カーターもパターソンの出身だというような話をしているのを、パターソンも聞いているようだ。
 パターソンは自分のノートに詩を書く。出勤するときも詩のことを考え、出発前のバスの運転席でや、昼食休憩のとき、公園でローラのつくったサンドイッチを食べながら詩を書いている。
 仕事を終えて帰宅すると、ローラがその日にやったことをパターソンに話しする。ローラはカーテンや自分の服など、みんな白黒模様にしていくのが趣味。今はカップケーキをつくるのに凝っていて、週末のバザーで売るつもりでいる。そして今、ギターを買ってカントリー歌手になりたいという夢もある。
 食事のあとにパターソンはマーヴィンを連れて散歩に出る。散歩コースにあるバーの前でマーヴィンに待ってもらい、自分はバーでビールを飲み、マスターのドクと話をするのが日課

 同じような日々が、少しずつ変化をみせながら火曜日、水曜日、木曜日、金曜日とつづいていく。金曜日には運行中のバスが故障して止まってしまったり、夜のバーでちょっとした騒ぎが起きたりもする。ローラが注文していたギターが届く。
 土曜日。ローラのカップケーキ(これも黒白模様)がたくさん売れ、そのお祝いに二人は夜に映画(アボットコステロの古いモノクロ映画)を観に行く。帰宅してみると、留守番していたマーヴィンが、パターソンがソファの上に置き忘れていた詩作ノートを完璧にボロボロにしてしまっていたのだった。ショックを隠せないパターソン。
 日曜日。ひとりで散歩に出たパターソンが公園のベンチに座っていると、日本人の男性(永瀬正敏)が来てとなりに座り、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集『パターソン』(日本語訳だけれども、英語の原詩も載っているようだ)を読み始める。「詩人」だという日本人はパターソンと詩の話をし、別れるときにパターソンに白紙のノートブックをプレゼントするのだった。

 パターソンはそのノートに詩を書き始め、そしてまた新しい月曜日がやってくる。

 こうやってストーリーを書いてもしょうがないぐらい、映画は淡々と進んでいく。それでも、濃厚なラブシーンもないパターソンとローラ夫妻をつなぐ愛情の深さは読み取れるし、そんな二人を、いつもかわいい上目づかいで見守っているような犬のマーヴィンが愛らしい。
 パターソンを取り巻く人たちは、この映画でみるかぎりでは、まずは奥さんのローラ、そして職場の車庫にいるドニー(彼はいつも、自分のことを「最悪だ」とばかり言う)、それからバーで出会う人たちに限られているようだ(あと、彼は運転するバスの乗客の会話を毎日聞いている)。そもそもパターソンの行動は、「自宅~職場(バスの運行)~昼食で行く公園~バス~自宅~マーヴィンとの散歩~バーで一杯のビールを飲む」というだけに限られているみたいだ。そのことが今のわたし自身のこととも重ね合わせられ、「COVID-19禍」ということもあり、自分にもこういう行動様式というものが身近に感ぜられる(わたしにはローラのような奥さんはいないけれども、マーヴィンの代わりにニェネントというネコがいる)。そういうところでは、さいごに日本人の詩人に出会うというのは、ちょっとこの映画の空気感を壊しているようにも感じてしまうわたしだった。

 そしてわたしはこの映画を観て、わたし自身もむかしウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩が好きで、ペンギンブックの「William Carlos Williams Selected Poems」を今でも持っていることを思い出したのだった。本棚の奥から見つけ出した。

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 映画を観終えて、映画の中でパターソンが読む「This is just to say」という短かい詩を見つけ、読んだ。

THIS IS JUST TO SAY


I have eaten
the plums
that were in
the icebox


and which
you were probably
saving
for breakfast


Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold

 わたしはこういうウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩がやはり大好きだし、こういう詩の醸し出す「空気」というものが、やはりこの『パターソン』という映画の持ち味とも共通するのだろうかと思ったりもした。わたしもこの詩を訳してみた。

「言っておかなくっちゃ」


僕はね
冷蔵庫に入ってた
スモモを
食べちゃったんだ


それで、あれって多分
きみが
朝食のために
取っておいたんだよね


ごめんね
おいしかったんだ
とっても甘くって
それでとっても冷えてたよ

 わたしの「訳詩」として自慢するわけではないし、この映画では「詩」の翻訳は「レインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」ともいわれていた。それでも、わたしがこのウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩をどう読んだのかということは、自分で翻訳したものがいちばん伝わるかもと思う。

 川があり、滝も眺められる、パターソンのちょっと古びた街並みも心をしっとりとさせる。意外にも、パターソンの町の裏通りに行くと電柱がいっぱい立っていて、まるで日本の風景のように電線がはりめぐらされていたのだった。「COVID-19禍」の中、自分にもこういうパターソンの日常の暮らしにあこがれる気もちがあるようだ。わたしはちょっと、前の茨城での暮らしを懐かしく思い出してしまったりもした。

 パターソンが置き忘れた詩のノートをマーヴィンにぐちゃぐちゃにされてしまうけれども、ウチのニェネントも、わたしがリヴィングの床に置きっぱなしにした大事な本の上でトイレに失敗しておしっこをしてしまい、もう二度と読めなくされてしまったことがあった。
 そのときはわたしも憤り、パターソンのように、ニェネントに「おまえなんかきらいだよ!」と思ったこともあった。まあやってしまったあとに「お仕置き」してもネコに対しては単なる「虐待」でしかないから、「本を置きっぱなしにしたわたしがいけないのだ」とあきらめたけれども。
 マーヴィンを演じた(?)イングリッシュ・ブルドッグのネリーはとってもキュートだったけれども、この映画のエンド・クレジットのいちばん最後に「In Memory of Nellie」と出て、わたしはそれを読んで泣いてしまうのだった。