ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『パターソン』(2016) ジム・ジャームッシュ:脚本・監督

 パターソンという町で、市営バスの運転手をしているパターソンという男(アダム・ドライヴァー)の、ある月曜日から次の月曜日の朝までの一週間の、淡々としたお話。
 彼にはどことなくプッツン気味のかわいい奥さん(ゴルシフテ・ファラハニというイランの女優さん)とマーヴィンというブルドッグ(ネリー。撮影後に亡くなったらしいけど、「カンヌ映画祭」で「パルムドッグ賞」を受賞したという)とで暮らしていて、ノートに毎日「詩」を書き留めているのだった。

 朝はいつも夫婦がベッドで並んで寝ているところを真上から捉える絵から始まり、毎朝アダム・ドライヴァーが腕時計を見て時間を確認する。毎朝同じ道を歩いて出勤し、ランチボックスの中の、奥さんのつくってくれたお弁当(?)を眺める。毎日バスの車庫チェックをするダニーと毎日同じような対話をし(ダニーはいつも「最悪だ」とばかり語る)、バスが出発し、夕方になって家に戻る。毎夕、家の前の郵便受けが傾いてしまっているのをまっすぐに直す(どうやら郵便受けを毎日傾けてしまうのはマーヴィンのしわざらしい)。奥さんの話を聞き、マーヴィンの散歩で毎夜同じ道を歩き、いつのもバーの前でマーヴィンを外につないでバーに入る。毎日がこのように過ぎて行く。

 アダム・ドライヴァーは奥さんと二人のときも、奥さんの話を聞くばかりで自分のことはあまり話はしない。毎夜行くバーでマスターと話すときが、いちばんおしゃべりするときだろうか。ただバスの中でお客さんが交わす会話を聞き、そのことがどこかで彼が書く詩に反映しているだろうか。
 バスの中で学生がイタリアのアナーキスト、カエターノ・ブレーシ(イタリア国王ウンベルト1世を暗殺した)の話などをするが、わたしはジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』を観たときも、「ジャームッシュアナーキストなのかな?」などと思ってもいたし、やはりアナーキズムには関心が強いみたいだ。

 淡々と、毎日が同じように過ぎて行くようではあるが、それでも日々はそれぞれ異なっていて、アクシデントとか「ちょっとした事件」のようなことは起きる。そういったことも彼の詩に反映されているだろうか。
 それでも土曜日には「大事件」が起き、夫婦で映画を観に行って帰って来ると、留守番をしていたマーヴィンが、出しっぱなしにしていた「詩のノート」を、徹底的にボロボロにしてしまっていたのだった。
 日曜日に気分転換に町の公園(滝がある!)のベンチに座っていて、日本人の「詩人」(永瀬正敏)に出会い、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズのことなどを語り、別れ際に「あなたにお会い出来て良かった」と、何も書いていない白紙のノートをプレゼントされるのだった。

 やはりなぜか愛おしい映画で、ちょっと「不思議ちゃん」で家の中を白黒モノトーンに塗りつくし、「丸模様」を偏愛する奥さん、家ではいつも椅子の上に座って、上目遣いっぽい表情で二人を見ているマーヴィンとか、「生活を愛する」というのはこういうことだろうという愛おしさにあふれ、また、それがパターソンの書く「詩」の原点になっていることがよくわかる。
 映画の中で、そんなパターソンの書いた「詩」が毎日紹介されるが、それらの詩はやはり、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩と共通するような、「生活の中のちょっとした喜び」とかをうたっているようでもあり、この映画は「そういう詩はどのように生まれるのか」ということを描いていたようには思える。そしてそれは、ひとつには「日常への愛」ではないのか、などとは思うのだった。