ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『デッド・ドント・ダイ』(2019) ジム・ジャームッシュ:脚本・監督

 舞台はアメリカの片田舎の「センターヴィル」という小さな町(人口は738人らしい)。町に警官は3人しかいない。クリフ(ビル・マーレイ)とロニー(アダム・ドライヴァー)の2人は普段町を巡回し、ミネルヴァ(クロエ・セヴィニー)はいつもは署のデスクにすわっている。ラジオのニュースでは、「極地での地下工事の影響で地球の自転軸がずれる可能性があり、日照時間が狂う」と言っている。映画のあいだ中、いろんなところでこの映画の主題歌「デッド・ドント・ダイ」というカントリーソングが流れている。町に一軒の葬儀屋のオーナーが変わり、新しいオーナーはゼルダ・ウィンストン(ティルダ・スウィントン)といい、葬儀屋の中に黄金の仏像があり、日本のサムライの刀を持っているという。町ではペットの犬や鶏、そして牛がとつぜん消えるようになり、農夫のフランク(スティーヴ・ブシェミ)はクリフに「世捨て人のボブ」(トム・ウェイツ)が犯人だと訴えるが、クリフは「ボブは古い友達だからそんなことはやらない」といい、逆に「フランクはクズ野郎だから信用出来ない」という。
 夜、町の墓場から2体の死体(イギー・ポップ&サラ・ドライヴァー)がよみがえり、町のダイナーにいた店の2人を食い殺すのだった。

 ‥‥こ~んな感じで映画は始まり、いろんなところでよみがえったゾンビがうろつきまわるようになり、町民はだんだんとゾンビ化して行く。面白いのはゼルダで、やはり日本刀の「使い手」で、かたっぱしから近寄るゾンビの頭を叩き切るのだった。

 ジャームッシュの映画というと、いつものジャームッシュ映画の常連たちが顔を連ねた、どこかすっとぼけた味わいの映画を思い浮かべる。そういうのでは、ちょっといつものジャームッシュ・テイストから離れて、アダム・ドライヴァーを前面に据えたシリアス(?)なドラマ『パターソン』(2016)がわたしは大好きだったのだが、そのときに抑えた「ジャームッシュ・テイスト」がこの作品では「全開」というか、いろんなネタをぶち込みながら「メタ映画」的な要素も入れ、それでもジャームッシュ映画の常連たちの「演技」をたっぷり楽しめる、「こういうの、好きだね~」という作品に仕上がっている。
 特に主演のビル・マーレイの飄々とした演技と、いつもそのビル・マーレイのとなりにいるアダム・ドライヴァーの淡々とした演技との対比が楽しい。そんな中でクロエ・セヴィニーだけが、この映画の中で唯一「普通人の反応」みたいなのを見せてくれる。もちろん、いちばんブッ飛んでいたのはティルダ・スウィントンだったが。

 映画として、この「センターヴィル」の町で唯一さいごまで生き残るのは「世捨て人のボブ」で、彼はラストに「これは人々がモノに執着する報いであり、<物質主義>の害悪だ」みたいなことを言うわけで、それが「ゾンビ」の本質だということでこの映画のメッセージになっているのかとは思う。
 それで思い出すのは先日観たフランス版の『キャメラを止めるな!』のことで、その作品の中で主演男優は外の打ち合わせの場で「資本主義の弊害だ!」とか叫ぶわけだけれども、あの作品の脚本も書いた監督のミシェル・アザナヴィシウスは、あれでジム・ジャームッシュと同じようなことを訴えていたのかもしれないな、などとは思うのだった。