ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラの逆襲』(1955) 香山滋:原作 小田基義:監督 円谷英二:特技監督

 1954年11月に公開された『ゴジラ』の空前の大ヒットを受けて、東宝は「これは続篇をすぐにつくるべきだ!」と、『ゴジラ』公開から半年を置かずに製作、公開された作品。東宝の特撮映画といえば本多猪四郎監督なのだが、このとき彼は多忙で小田基義監督という人がメガホンを取った。この人はコメディ作品を多く撮っていた人らしい。

 原作は第一作『ゴジラ』と同じく香山滋に依頼したが、香山は「だって、ゴジラはもう死んじゃったんだよ!」と困ってしまったらしい。それで「ゴジラは一頭ではなかった」ということにされたが、これは第一作のラストで志村喬が「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」と語ってもいるから、そこまでに「唐突な<ゴジラ復活>」というわけでもない。

 この続編の特徴は、ゴジラが襲ったのが大阪だということと、「アンギラス」という別の怪獣との「対決」を行ったことだろう。
 このアンギラスゴジラの対決で大阪城も破壊されてしまうのだけれども、以降延々とつづく「ゴジラ映画」は、ゴジラが他の怪獣と戦うことがメインとなって行くわけだ。この次の『キングコング対ゴジラ』では、たしか名古屋城が破壊されていたと思う。

 この作品ではゴジラをやっつけるための「ゴジラ対策本部」みたいなところの視点はほとんどなく、さいしょにゴジラを発見した魚群探索機パイロット、彼らが所属する某漁業会社からの視点がメインになる。このことからも、「ゴジラ来襲」の社会的影響(被災者らの描写)など描かれることはなく、つまり「核実験の影響」などという話も出て来ない。特にこの作品は前半と後半とに大きく分かれており、前半はともかく後半は「ゴジラ討伐」の描写が延々とつづくだけ、と言っていいと思う。
 「怪獣映画」お約束のヒロイン的な女優に関しても、若山セツ子という女優さんは出演しているが、「漁業会社の中の一従業員」として、他の漁業会社パイロットとからむだけである(パイロットの一人の婚約者だけれども)。そういうところで、この「漁業会社対ゴジラ」みたいな成り行きの中で、漁業会社職員らの宴会の場面がかなり長くつづいたりして興をそがれる思いもする。

 さらにその漁業会社のパイロットが戦争中もパイロットであって、あとからやって来る自衛隊パイロットの連中と戦時中同じ部隊だったといい、なぜか自衛隊ジェット機を操縦していたりする。
 わたしは前の『ゴジラ』には「反戦」の意志もあったと了解しているけれども、ここで戦争中の戦闘機パイロットがゴジラと戦うとなると、逆に好戦的展開というか、戦時下の戦闘機パイロットを賛美するようでもあり、ヤバいのではないかとも思う。じっさい、漁業会社のパイロットのひとり(千秋実)は、ほとんど「特攻機」のようにゴジラの背後の雪山に突っ込んで爆死するわけで(そのことが「ゴジラ退治」のヒントになる)、なおさらヤバい。

 ゴジラ自体の映像についても、後半はただ立ち尽くしているだけのようでどうってことないし、前半のアンギラスとの戦いも時間も短いし、前の『ゴジラ』のように「あおり撮影」などさまざまな位置からの撮影もなく、物足りない。
 あと、前半では「ゴジラは明るいものに向かおうとする」ということで、海上に照明弾を落としてゴジラを大阪から海に誘い出すのだけれども(『大怪獣バラン』でも同じ発想が出て来る)、これが後半になって雪と氷に包まれた島の湾の奥にゴジラが入り込んだとき、「ゴジラが海に出られないように」と湾の入り口に置いたガソリンだかに火をつけるのだが、「ゴジラが明るいものにひかれる」のなら、その湾の入り口の炎の方に行ってしまうような気がするのだが? まあ夜と昼では異なるし、やはりゴジラといえども目の前の「炎」は嫌いなのかな。
 そして蛇足だが、このゴジラは歯並びが悪い。

 わたしにはそういう、いろいろなポイントからマイナス点の多い作品ではあるけれども、後に連なる「ゴジラ映画」の初期通過点として、やはり否定はし切れない、愛着のある作品ではある。